NO. 703
坂名:お宮坂、おぼすな坂
住所:東京都羽村市羽西
今回は、羽村市羽西にあるお宮坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、JR青梅線・小作駅から南西に650mほどのところにある松本神社に隣接している坂道です。
前に取り上げた青梅坂【NO.701】からなら坂上すぐの場所でした。

写真1
まずは坂上あたりの様子です。(写真1)
写真1右側の道路は奥多摩街道なので、写真1背後に前に取り上げた青梅坂【NO.701】があるという立地具合でした。
坂道自体は多摩川へと下る河岸段丘の崖地を下る形をしていて、緑も多くて、印象的な雰囲気でしたね。
ただ緑が多い分、眺望はあまり期待されないほうがいいかもですね。

写真2
中腹やや下あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真2)
もうこれは緑のトンネルといってもいいくらいでしたね。

写真3
写真2の背後の様子です。(写真3)
このあたりからぐぐっと左にカーブしながら下っていました。

写真4
坂下あたりの様子です。
坂道の景色とともに隣接する松本神社の鳥居が印象的でした。
坂名については、現地に坂名や由来などが書かれている坂の碑はありませんでした。
由来についても特に詳しいことはわかりませんでしたが、お宮は神社のことなので、おそらくというかかなりの確率で、隣接する松本神社に関係していると思われます。

写真5
せっかくなので、松本神社の本殿の様子もあわせて。
境内には、松本神社と本殿のことについて書かれた案内板があったので、一部抜粋させていただくとですね、
『本殿は一間社流造で板葺。鎌倉時代の建久年間(1190〜1199)に伊豆下田より移住した人の子孫が山城国紀伊郡の稲荷社(現在の伏見稲荷)から分社して創建したものと伝えられています。祭神は豊受媛命、大正3年(1914)に櫛見毛奴命、大物主神を合肥しました。江戸時代には稲荷社と呼ばれていましたが、明治2年(1869)社号を松本神社と改称しました。平成三年の調査で棟札、木割帳、絵下絵などが発見され、その内容から本殿は天保7〜11年(1836〜40)宮大工小林藤馬(播磨)の再建とされ、江戸時代後期建築の特徴をとどめています。』
どうやら神社は1190年頃創建ということなので、かなりの歴史があるようですね。
ちなみに 今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い大正12年の地図にも今と同じ場所に記載があるので、今回の坂道も神社とあわせてけっこう古くからあったのかもしれないですね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都羽村市羽西
関連リンク:
坂名:お宮坂、おぼすな坂
住所:東京都羽村市羽西
今回は、羽村市羽西にあるお宮坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、JR青梅線・小作駅から南西に650mほどのところにある松本神社に隣接している坂道です。
前に取り上げた青梅坂【NO.701】からなら坂上すぐの場所でした。
[坂上あたりの様子]

写真1
まずは坂上あたりの様子です。(写真1)
写真1右側の道路は奥多摩街道なので、写真1背後に前に取り上げた青梅坂【NO.701】があるという立地具合でした。
坂道自体は多摩川へと下る河岸段丘の崖地を下る形をしていて、緑も多くて、印象的な雰囲気でしたね。
ただ緑が多い分、眺望はあまり期待されないほうがいいかもですね。
[中腹あたりの様子]

写真2
中腹やや下あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真2)
もうこれは緑のトンネルといってもいいくらいでしたね。

写真3
写真2の背後の様子です。(写真3)
このあたりからぐぐっと左にカーブしながら下っていました。
[坂下あたりの様子と坂名について]

写真4
坂下あたりの様子です。
坂道の景色とともに隣接する松本神社の鳥居が印象的でした。
坂名については、現地に坂名や由来などが書かれている坂の碑はありませんでした。
由来についても特に詳しいことはわかりませんでしたが、お宮は神社のことなので、おそらくというかかなりの確率で、隣接する松本神社に関係していると思われます。

写真5
せっかくなので、松本神社の本殿の様子もあわせて。
境内には、松本神社と本殿のことについて書かれた案内板があったので、一部抜粋させていただくとですね、
『本殿は一間社流造で板葺。鎌倉時代の建久年間(1190〜1199)に伊豆下田より移住した人の子孫が山城国紀伊郡の稲荷社(現在の伏見稲荷)から分社して創建したものと伝えられています。祭神は豊受媛命、大正3年(1914)に櫛見毛奴命、大物主神を合肥しました。江戸時代には稲荷社と呼ばれていましたが、明治2年(1869)社号を松本神社と改称しました。平成三年の調査で棟札、木割帳、絵下絵などが発見され、その内容から本殿は天保7〜11年(1836〜40)宮大工小林藤馬(播磨)の再建とされ、江戸時代後期建築の特徴をとどめています。』
どうやら神社は1190年頃創建ということなので、かなりの歴史があるようですね。
ちなみに 今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い大正12年の地図にも今と同じ場所に記載があるので、今回の坂道も神社とあわせてけっこう古くからあったのかもしれないですね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都羽村市羽西
関連リンク: