NO. 700
坂名:マシイ坂、枡井坂、桝井坂、増井坂
住所:東京都日野市百草

今回は、日野市百草にあるマシイ坂について取り上げてみたいと思います。
場所は京王線・百草園駅から南西に400mほどのところにある京王百草園のすぐ南側にある坂道です。
前回取り上げた旧松連坂【NO.699】からなら同じ道沿いを南に徒歩1分ほどでした。

[坂下あたりの様子と坂名について]


マシイ坂【NO.700】1
写真1

まずは坂下あたりの様子です。(写真1)
このあたりは比較的傾斜は緩やかでしたが、上るほどきつくなっていく感じでした。
写真1右側はちょっとした小山だったので、緑が多くて、印象的な坂道風景でしたね。

坂名については、ここから北西に徒歩1分ほどのところにマシイ坂公園があり、なんと園内の案内看板に公園の説明とあわせて書かれてありました。
長いですが、全文を引用させていただくとですね、
『この公園の前の坂を下った突き当りから百草八幡神社へ登る坂は古来よりマシイ坂と呼ばれていました。現百草園の位置に存在していた松連寺や、八幡の山号「桝井山」の関連だと思われますが、「マシイ」は当時付近にあった年間通して枯れることのない湧水を指している可能性があります。百草一帯は鎌倉〜室町期には、吉富郷として、関戸郷(現多摩市)と共に鶴岡八幅宮の所領で、百草八幡神社へ奉納するための祭田や修復作業場があったと云われています。1062年源頼義・義家父子が「前九年の役」で奥州下向の折にマシイ坂を通り、百草八幅神社に詣でたと伝わっています。「マシイ」は枡井・桝井・増井等の表記が混在するため、公園名としてはカタカナ表記としました。』
とありました。

ちなみに今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治39年の地図にも百草八幡神社へと向かう道があるのですが、今の道とは位置が違っていて、どうやらこれから歩く道は古い道と並走するように昭和29年の地図から記載がある道のようですね。
なお古い坂道のほうは昭和50年の古地図からなくなっていて、このあたりから百草八幡神社へと向かう道はここだけになったようですね。

なので、かつてあった坂道は写真1左側あたりから上っていく坂道だった可能性が高く、そういう意味では、今回取り上げる坂道は新マシイ坂とも言えるのかも。

あとは写真1でも奥に看板と入口が見えてますけど、坂の途中には「日野市立小島善太郎記念館」も隣接していました。

[中腹あたりの様子]


マシイ坂【NO.700】2
写真2

ここは坂下から坂上まで、だいたいこんな感じの坂道風景が続いていました。(写真2)

ただこのあたりは結構な傾斜具合だったので、傾斜具合をスマホの角度傾斜計アプリで測ってみると、18.4%(10.5°)という数値がでましたね。

[坂上あたりの様子と百草八幡神社]


マシイ坂【NO.700】3
写真3

坂上あたりの様子です。(写真3)
坂上には、坂名の由来でも出てきた百草八幡神社が隣接していました。
このあたりは古そうな石垣に囲まれていたのも印象的でしたね。

マシイ坂【NO.700】4
写真4

すぐそばに百草八幡神社の石段と鳥居もありました。(写真4)
百草八幡神社については、創建年などは不明ですが、坂名の由来で「1062年源頼義・義家父子が「前九年の役」で奥州下向の折にマシイ坂を通り、百草八幅神社に詣でたと伝わっています。」と出てきたとおり、かなり古くからこの地にあった神社であることは確かなようですね。

ということで、今回はこんな感じです。

地図:東京都日野市百草


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