NO. 695
坂名:かむろ坂、禿坂
住所:東京都品川区西五反田

今回は品川区西五反田にあるかむろ坂について取り上げてみたいと思います。
場所は東急目黒線・不動前駅のすぐ北側にある坂道です。
また坂道から北東に400mのところに目黒不動男坂【NO.491】で取り上げた目黒不動もありますね。

[坂上の様子と桜]


かむろ坂【NO.695】1
写真1

まずは坂上あたりの様子です。(写真1)
写真1右側に100mも行かないところを東急目黒線が走っているという立地具合でした。

坂道自体は緩やかな傾斜で若干左にカーブしながら下っていました。
そして、写真1でも見えていますけど、ここは坂道沿いに桜が植えられていて、桜並木が有名な通りでもありますね。

また写真1でも見えていますけど、信号のところに「かむろ坂」と書かれた標識がありました。

[中腹あたりの様子と坂名について]


かむろ坂【NO.695】2
写真2

中腹あたりの様子です。(写真2)
写真2は傾斜が緩やかなのでわかりにくいですけど、坂下方向を見ているものです。

このあたりが一番、桜並木の見え方もよかったかもですね。

ちなみにこのすぐそばに隣接しているかむろ坂公園内に、坂名の由来が書かれたプレートがありました。
いつものように抜粋させていただくとですね、
『今から三百年ほど前、数々の悪事を重ねた鳥取の武士、平井権八郎直定(歌舞伎では白井権八)が鈴ヶ森で処刑され、目黒の冷心寺の僧に引き取られて葬られました。権八と相愛であった吉原の三浦屋のおいらん「小紫」は,それを知ると目黒へ急ぎ権八の墓前で自害しました。小紫の帰りを心配した三浦屋の主人は、小紫の可愛がっていた半玉(おいらんの下で働く少女は、おかっぱのような髪形をしていたところから「かむろ」とよばれていました)を迎えに出しました。「かむろ」は、冷心寺で小紫の死を知ることとなります。泣きながらの帰途、桐ヶ谷近くにさしかかったとき,突然暴徒に襲われ逃げきれず、目の前にあった「二ツ池」に飛び込み死んでしまいました。この様子を見ていた村人は、「かむろ」を哀れに思い丘の中腹に葬り、「かむろ塚」と呼んでいましたが、その後、丘を「かむろ山」池を「かむろが池」と呼ぶようになったということです。都市化とともに付近の様子も変わり、残されたこの坂道が「かむろ坂」と呼び残されています。』
とありました。

悲しい昔話でもあるようですね。
なんとなく物語風に書かれてますけど、ここの場合は史実なんでしょうね。

あとは、目黒区のHPにもかむろ坂の記載があり、短くてわかりやすいので、こちらも抜粋させていただうとですね、
『白井権八-小紫伝説にからむ名称で、遊女小紫の使っていた禿(かむろ)が付近の池に身を投げたことから、この名が起こったという。いつとはなしに、地域の人びとから通りの名称として呼ばれるようになった。』
とありました。

[坂下あたりの様子]


かむろ坂【NO.695】3
写真3

坂下あたりの様子です。(写真3)
このあたりはかなり緩やかな傾斜となっていました。

ここは坂下あたりまで桜が植えられていて、その点でいえばまさに桜の名所でしたね。

なお今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治42年の地図にも今と同じ場所に記載があり、坂名由来の話から鑑みても、かなり古くからあった坂道のようですね。

ということで、今回はこんな感じです。

地図:品川区西五反田


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