今年もこの日がやってきました。
毎年言ってますが(もう諦めてこれからも何度も言わせていただこうと思います)、今年は30年という節目の年ですね。
気がつけば、このブログを始めてから毎年、この日はこの企画をやって、ひさびさに過去記事も読み直してみたりと、当時親が撮った近所の様子の写真(実はこのブログの最初の頃にも載せています)なども見直してみると、身が引きしまるとともに、昔はいい味でも悪い意味でも鬱傾向なところもあったなあと、最近やっと振り返られるようにもなりました。
ただそんな思いに浸っているなか、先日も宮崎で地震が発生するなど、こちらの気持ちなんかはどこ吹く風のように地球は次々と大きな地震を引き起こし、日々僕自身の防災に対する考えもアップデートされる日々が続いているような気がしますが、実際はそんなことはすぐに忘れさられているのか、当時と同じように家屋の倒壊や人災が起こっているのは、やはり寂しいところですね。
もしかしたら、これまでの地震でも経験したことのないような大きさの地震(M9とかそれ以上?)がくることだってありうるのにですね。
そういう意味では、いまよくニュースでも見聞きする防災庁が将来もしできたら、すこしは変わるんですかね(というか変わらないとだめですね)。
そして、今年は震災からもう30年なんですよね。
今思えば、震災のことを深く思えば思うほど、いろんな意味で、ネガティブな考えもついてまわることも、やっぱりあるわけで、この30年はそういう思いみたいなものに引き込まれそうになったとき、または引き込まれてしまったときに、どうつきあうかということも日々訓練してきたような気もしますよ。
あとは、いろんな思いみたいなものを個人で抱え、それぞれで解決するのも悪くないかもしれないですけど、この30年の経験から思うのはやはり神戸という街全体で、震災の記憶を活かしたコトモノを生み出していくこともさらに今まで以上にできそうな気がしますし、やらないといけないのかな、なんて思いました。
そんなわけで、話が大きくなりましたが、心のなかでは、”30年だし、もうそろそろいいのでは?”なんて思いも浮かんできたりする中、やはり今年も例年通り年始に震災遺構巡りをいくつかしてきました。

写真1
震災から30年の今年は、原点回帰ではないですけど、震災遺構がある三宮駅のすぐ北側にある北野坂を訪れてみました。(写真1)
今思えば、あの地震がなければ、建築を大学で学ぶことはおそらくなかったかもですし、そうなれば、坂道巡りもこのブログとあわせて今ほどはしなかった可能性も高いので、そういう意味での原点回帰とも言えますね。

写真2
こちらが、今回の震災遺構になります。(写真2)
写真1のすぐ右側にあった象ビルヂングです。
北野坂を歩くたびにいつか取り上げなければと思っていましたが、やっとですね。

写真3
写真2中央に見えていた時計です。(写真3)
こちらは当時のまま残されていて、1995年1月17日のAM5時46分で止まったままになっていることから「止まったままの時計」とも言われています。
また写真2に写ってるビルの側壁もよくみると、古いまま残されているようで、いたるところに地震のときにできたであろうヒビが見えましたね。

写真4
1階エントランスそばにはプレートもありました。(写真4)
「1995.1.17 AM5:46 天井の時計は阪神淡路大震災で止まったままです」と書かれているとおり、震災遺構として残こそうという気持ちが伝わってきますね。

写真5
最後は、北野坂の坂上からの眺めです。(写真5)
前にきたときはなかった新しい高層ビルが坂道の軸線上にどどんと見えていました。
昔は神戸市役所のビルが見えていたんですけどね。
調べてみると、どうやら阪急神戸駅の駅舎とビル(神戸三宮阪急ビル)のようでした。
2021年に開業とのことですが、ある意味、このビルも震災でかつての駅舎が被災していなかったら、これほどの高層ビルとして建て替えされていなかったろうとも思えて、いろいろと感慨深くなりました。
ということで、今年はこんな感じです。
住所:兵庫県神戸市中央区中山手通1
関連リンク:
(北野坂については、このブログでは記事にしていませんが、以前にみちくさ学会の記事で取り上げていて、坂上からの写真も公開していますので、気になる方はあわせてよかったら。)
毎年言ってますが(もう諦めてこれからも何度も言わせていただこうと思います)、今年は30年という節目の年ですね。
気がつけば、このブログを始めてから毎年、この日はこの企画をやって、ひさびさに過去記事も読み直してみたりと、当時親が撮った近所の様子の写真(実はこのブログの最初の頃にも載せています)なども見直してみると、身が引きしまるとともに、昔はいい味でも悪い意味でも鬱傾向なところもあったなあと、最近やっと振り返られるようにもなりました。
ただそんな思いに浸っているなか、先日も宮崎で地震が発生するなど、こちらの気持ちなんかはどこ吹く風のように地球は次々と大きな地震を引き起こし、日々僕自身の防災に対する考えもアップデートされる日々が続いているような気がしますが、実際はそんなことはすぐに忘れさられているのか、当時と同じように家屋の倒壊や人災が起こっているのは、やはり寂しいところですね。
もしかしたら、これまでの地震でも経験したことのないような大きさの地震(M9とかそれ以上?)がくることだってありうるのにですね。
そういう意味では、いまよくニュースでも見聞きする防災庁が将来もしできたら、すこしは変わるんですかね(というか変わらないとだめですね)。
そして、今年は震災からもう30年なんですよね。
今思えば、震災のことを深く思えば思うほど、いろんな意味で、ネガティブな考えもついてまわることも、やっぱりあるわけで、この30年はそういう思いみたいなものに引き込まれそうになったとき、または引き込まれてしまったときに、どうつきあうかということも日々訓練してきたような気もしますよ。
あとは、いろんな思いみたいなものを個人で抱え、それぞれで解決するのも悪くないかもしれないですけど、この30年の経験から思うのはやはり神戸という街全体で、震災の記憶を活かしたコトモノを生み出していくこともさらに今まで以上にできそうな気がしますし、やらないといけないのかな、なんて思いました。
そんなわけで、話が大きくなりましたが、心のなかでは、”30年だし、もうそろそろいいのでは?”なんて思いも浮かんできたりする中、やはり今年も例年通り年始に震災遺構巡りをいくつかしてきました。

写真1
震災から30年の今年は、原点回帰ではないですけど、震災遺構がある三宮駅のすぐ北側にある北野坂を訪れてみました。(写真1)
今思えば、あの地震がなければ、建築を大学で学ぶことはおそらくなかったかもですし、そうなれば、坂道巡りもこのブログとあわせて今ほどはしなかった可能性も高いので、そういう意味での原点回帰とも言えますね。

写真2
こちらが、今回の震災遺構になります。(写真2)
写真1のすぐ右側にあった象ビルヂングです。
北野坂を歩くたびにいつか取り上げなければと思っていましたが、やっとですね。

写真3
写真2中央に見えていた時計です。(写真3)
こちらは当時のまま残されていて、1995年1月17日のAM5時46分で止まったままになっていることから「止まったままの時計」とも言われています。
また写真2に写ってるビルの側壁もよくみると、古いまま残されているようで、いたるところに地震のときにできたであろうヒビが見えましたね。

写真4
1階エントランスそばにはプレートもありました。(写真4)
「1995.1.17 AM5:46 天井の時計は阪神淡路大震災で止まったままです」と書かれているとおり、震災遺構として残こそうという気持ちが伝わってきますね。

写真5
最後は、北野坂の坂上からの眺めです。(写真5)
前にきたときはなかった新しい高層ビルが坂道の軸線上にどどんと見えていました。
昔は神戸市役所のビルが見えていたんですけどね。
調べてみると、どうやら阪急神戸駅の駅舎とビル(神戸三宮阪急ビル)のようでした。
2021年に開業とのことですが、ある意味、このビルも震災でかつての駅舎が被災していなかったら、これほどの高層ビルとして建て替えされていなかったろうとも思えて、いろいろと感慨深くなりました。
ということで、今年はこんな感じです。
住所:兵庫県神戸市中央区中山手通1
関連リンク:
(北野坂については、このブログでは記事にしていませんが、以前にみちくさ学会の記事で取り上げていて、坂上からの写真も公開していますので、気になる方はあわせてよかったら。)