NO. 661
坂名:まつや坂、真谷坂
住所:東京都あきる野市二宮+二宮東
今回はあきる野市二宮と二宮東にまたがる「まつや坂」について取り上げてみたいと思います。
場所はJR五日市線・東秋留駅から東に徒歩10分ほどのところにある坂道です。
前回取り上げた「中坂」からなら南に徒歩5分ほどのところですね。
写真1
中腹あたりから坂下方向を見てみたものです。(写真1)
ちょっとここは過去に大改修があって、やや複雑な場所なのですが、昔はもっと道幅の狭い道だったようですね。
ちなみにここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、秋川市地名考に記載があったので、いつものようように抜粋させていただくとですね、
『まつや坂は新旧あって変還している。二宮の真土から谷後へいくには、どうしても段丘崖を下りなければならない。元は九尺(約3m)の狭い道がトネ山から片側の崖道を大きく曲がって下っていた。改修の要望が住民の間につよかったが、段丘崖を下る坂道の改修は簡単に出来なかった。そこで、都道一六六号から新道をつくって段丘崖を下るという計画がたてられた。昭和四十年(一九六五)三月二十日、現在の稲荷耕地農道が開通したのである。新しい坂の名は真土と谷後を結ぶ坂なので「真谷坂」という案が決まった。まつや坂道とよぶのが正しいのである。』
とありました。
ここも写真1でいえば左奥のほうに多摩川が流れているので、段丘崖を下る坂道ということみたいですね。
写真2
中腹あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真2)
ここからが判断の難しいところなのですが、写真2の坂道は、写真1でいえば、左背後に上る坂道なんですよね。
でも現地には写真1の道幅の広い坂道が、写真1でいえば右背後に上る形であったんですよ。
事前情報では、写真2の坂道が「まつや坂」の坂上あたりだろうということで撮っておいたんですが、今昔マップで古地図も見てみると、なんとも微妙なんですよね。
掲載されている一番古い明治39年の地図には、改修前の道路が記載されていたんですけど、写真2の坂道よりもむしろ写真1でいえば右背後に上る坂道のほうがそれっぽい感じでしたね。
なので写真2の坂道は参考程度にということで。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都あきる野市二宮+二宮東
関連リンク:
坂名:まつや坂、真谷坂
住所:東京都あきる野市二宮+二宮東
今回はあきる野市二宮と二宮東にまたがる「まつや坂」について取り上げてみたいと思います。
場所はJR五日市線・東秋留駅から東に徒歩10分ほどのところにある坂道です。
前回取り上げた「中坂」からなら南に徒歩5分ほどのところですね。
[坂下あたりの様子と坂名の由来について]
写真1
中腹あたりから坂下方向を見てみたものです。(写真1)
ちょっとここは過去に大改修があって、やや複雑な場所なのですが、昔はもっと道幅の狭い道だったようですね。
ちなみにここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、秋川市地名考に記載があったので、いつものようように抜粋させていただくとですね、
『まつや坂は新旧あって変還している。二宮の真土から谷後へいくには、どうしても段丘崖を下りなければならない。元は九尺(約3m)の狭い道がトネ山から片側の崖道を大きく曲がって下っていた。改修の要望が住民の間につよかったが、段丘崖を下る坂道の改修は簡単に出来なかった。そこで、都道一六六号から新道をつくって段丘崖を下るという計画がたてられた。昭和四十年(一九六五)三月二十日、現在の稲荷耕地農道が開通したのである。新しい坂の名は真土と谷後を結ぶ坂なので「真谷坂」という案が決まった。まつや坂道とよぶのが正しいのである。』
とありました。
ここも写真1でいえば左奥のほうに多摩川が流れているので、段丘崖を下る坂道ということみたいですね。
[坂上あたりの様子]
写真2
中腹あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真2)
ここからが判断の難しいところなのですが、写真2の坂道は、写真1でいえば、左背後に上る坂道なんですよね。
でも現地には写真1の道幅の広い坂道が、写真1でいえば右背後に上る形であったんですよ。
事前情報では、写真2の坂道が「まつや坂」の坂上あたりだろうということで撮っておいたんですが、今昔マップで古地図も見てみると、なんとも微妙なんですよね。
掲載されている一番古い明治39年の地図には、改修前の道路が記載されていたんですけど、写真2の坂道よりもむしろ写真1でいえば右背後に上る坂道のほうがそれっぽい感じでしたね。
なので写真2の坂道は参考程度にということで。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都あきる野市二宮+二宮東
関連リンク: