NO. 654
坂名:クラブの坂、太梅院の坂
住所:東京都あきる野市平沢
今回は、あきる野市平沢にある「クラブの坂」について取り上げてみたいと思います。
場所はJR五日市線・東秋留駅から北に900mほどのところにある平井川に架かる橋で平高橋のすぐ南側にあります。
平高橋については前回取り上げていたりします。
写真1
まずは坂下あたりの様子です。(写真1)
写真1背後に平高橋があるという立地具合でした。
形状的にはうねうねしながら上っていく距離が長めの坂道でした。
写真2
すこし上り、坂下方向を見てました。(写真2)
遠くには平高橋が見えていましたね。
写真3
さらに坂道を上っていくと、隣接した場所に八幡神社がありました。(写真3)
由緒については、あきる野市のHPに記載があり、「旧平沢村の鎮守として、鎌倉街道沿いに古くから鎮座している。もとは平沢西寄りにあった太梅院が管理していたが、その後、広済寺に遷って続けられてきた。明治元年の神仏分離令によって廃され、最寄りの神官において兼務されてきた。」とありました。
「鎌倉街道沿いに古くから鎮座している」ということは、今回の坂道は鎌倉街道ということみたいですね。
いちおう今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治39年の地図にも今とだいだい同じ場所に記載がありました。
ただ、写真2でいえば、奥に見えている平高橋へと続く道は明治39年の地図には記載がなく、もうすこし右斜め方向に道があり、そこから最終的に前に取り上げた「おりきの坂【NO.653】」につながっているようでしたね。
写真4
坂上あたりの様子です。(写真4)
ここからだとくねくね道の様子がわかりやすかったですね。
ちなみにここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、秋川市地名考に記載があったので、いつものようように抜粋させていただくとですね、
『平沢会館が太梅院の跡にできたのは大正の末頃で、その頃、会館をクラブといったので、この坂をクラブ坂というようになった。その前は太梅院の坂といっていた。』
とありました。
平沢会館は今もあって、写真4でいえば、中央左に見えている樹木のすぐ奥にありましたね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都あきる野市平沢
関連リンク:
坂名:クラブの坂、太梅院の坂
住所:東京都あきる野市平沢
今回は、あきる野市平沢にある「クラブの坂」について取り上げてみたいと思います。
場所はJR五日市線・東秋留駅から北に900mほどのところにある平井川に架かる橋で平高橋のすぐ南側にあります。
平高橋については前回取り上げていたりします。
[坂下あたりの様子]
写真1
まずは坂下あたりの様子です。(写真1)
写真1背後に平高橋があるという立地具合でした。
形状的にはうねうねしながら上っていく距離が長めの坂道でした。
写真2
すこし上り、坂下方向を見てました。(写真2)
遠くには平高橋が見えていましたね。
[中腹あたりの八幡神社]
写真3
さらに坂道を上っていくと、隣接した場所に八幡神社がありました。(写真3)
由緒については、あきる野市のHPに記載があり、「旧平沢村の鎮守として、鎌倉街道沿いに古くから鎮座している。もとは平沢西寄りにあった太梅院が管理していたが、その後、広済寺に遷って続けられてきた。明治元年の神仏分離令によって廃され、最寄りの神官において兼務されてきた。」とありました。
「鎌倉街道沿いに古くから鎮座している」ということは、今回の坂道は鎌倉街道ということみたいですね。
いちおう今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治39年の地図にも今とだいだい同じ場所に記載がありました。
ただ、写真2でいえば、奥に見えている平高橋へと続く道は明治39年の地図には記載がなく、もうすこし右斜め方向に道があり、そこから最終的に前に取り上げた「おりきの坂【NO.653】」につながっているようでしたね。
[坂上あたりの様子と坂名の由来について]
写真4
坂上あたりの様子です。(写真4)
ここからだとくねくね道の様子がわかりやすかったですね。
ちなみにここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、秋川市地名考に記載があったので、いつものようように抜粋させていただくとですね、
『平沢会館が太梅院の跡にできたのは大正の末頃で、その頃、会館をクラブといったので、この坂をクラブ坂というようになった。その前は太梅院の坂といっていた。』
とありました。
平沢会館は今もあって、写真4でいえば、中央左に見えている樹木のすぐ奥にありましたね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都あきる野市平沢
関連リンク: