NO. 644
坂名:堂坂
住所:東京都国分寺市西元町
今回は国分寺市西元町の堂坂について取り上げてみたいと思います。
場所はJR西国分寺駅から南東に800mほどのところにある武蔵国分寺のすぐ西側にあります。
前回取り上げた泉町1丁目の眺望坂からなら南西に徒歩8分ほどのところですね。
写真1
まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
写真1背後に徒歩1分ほどのところに武蔵国分寺があるという立地具合で、そこから写真1でいえば右にカーブしながら上っている坂道でした。
写真1の右側の緑がすごいですが、地図でみるとここも武蔵国分寺の敷地のようでした。
坂名については、現地に由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、書籍「江戸東京坂道事典」に記載がありましたが、由来についてはとくに書かれていなかったです。
ただ、写真1右側に武蔵国分寺の薬師堂があるので、もしかしたらそのあたりが由来になっている可能性は高いですね。
写真2
せっかくなので、武蔵国分寺の本堂の様子なども。(写真2)
武蔵国分寺のことは、なかなかややこしいので後日もうすこし詳しく取り上げてみたいと思っていますが、簡単にいうと、創建は奈良時代までたどらないといけないようでしたね。
写真3
このあたりも緑が多かったですね。(写真3)
ちなみに写真3左側は八幡神社の敷地らしく、車用の入口(女坂的な?)もすぐそばにありました。
神社の歴史については、東京都公文書館のHPにて八幡神社関連の資料が公開されていて、それによれば享保5年(1720)3月に社殿が新造されたとのこと。
なお東京都公文書館が公開している八幡神社関連の資料には、神仏分離令がどういうものだったかなどについての記載もあったので気になる方は、記事最後に東京都公文書館のHPへのリンクを張っておきますのでよかったら。
写真4
最後は坂上あたりの様子です。(写真4)
ここは坂上から坂下までけっこう長い距離の間ずっと緑が多い状態が続いていましたね。
なお写真4の左側には八幡神社と一体になったようなつくりの国分寺公園が隣接していました。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都国分寺市西元町
関連リンク:
坂名:堂坂
住所:東京都国分寺市西元町
今回は国分寺市西元町の堂坂について取り上げてみたいと思います。
場所はJR西国分寺駅から南東に800mほどのところにある武蔵国分寺のすぐ西側にあります。
前回取り上げた泉町1丁目の眺望坂からなら南西に徒歩8分ほどのところですね。
[坂下あたりの様子と坂名の由来について]
写真1
まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
写真1背後に徒歩1分ほどのところに武蔵国分寺があるという立地具合で、そこから写真1でいえば右にカーブしながら上っている坂道でした。
写真1の右側の緑がすごいですが、地図でみるとここも武蔵国分寺の敷地のようでした。
坂名については、現地に由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、書籍「江戸東京坂道事典」に記載がありましたが、由来についてはとくに書かれていなかったです。
ただ、写真1右側に武蔵国分寺の薬師堂があるので、もしかしたらそのあたりが由来になっている可能性は高いですね。
[武蔵国分寺について]
写真2
せっかくなので、武蔵国分寺の本堂の様子なども。(写真2)
武蔵国分寺のことは、なかなかややこしいので後日もうすこし詳しく取り上げてみたいと思っていますが、簡単にいうと、創建は奈良時代までたどらないといけないようでしたね。
[中腹あたりの様子]
写真3
このあたりも緑が多かったですね。(写真3)
ちなみに写真3左側は八幡神社の敷地らしく、車用の入口(女坂的な?)もすぐそばにありました。
神社の歴史については、東京都公文書館のHPにて八幡神社関連の資料が公開されていて、それによれば享保5年(1720)3月に社殿が新造されたとのこと。
なお東京都公文書館が公開している八幡神社関連の資料には、神仏分離令がどういうものだったかなどについての記載もあったので気になる方は、記事最後に東京都公文書館のHPへのリンクを張っておきますのでよかったら。
[坂上あたりの様子]
写真4
最後は坂上あたりの様子です。(写真4)
ここは坂上から坂下までけっこう長い距離の間ずっと緑が多い状態が続いていましたね。
なお写真4の左側には八幡神社と一体になったようなつくりの国分寺公園が隣接していました。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都国分寺市西元町
関連リンク: