NO. 638
坂名:山吹坂
住所:東京都新宿区新宿

今回は、新宿区新宿にある山吹坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、都営大江戸線・東新宿駅から東へ徒歩5分ほどのところにある西向天神社の敷地内にある坂道です。

[坂上あたりの様子と大聖院]


山吹坂【NO.638】1
写真1

まずは坂上あたりの様子です。(写真1)
左側が西向天神社の敷地で、そこから西の方に下っている階段坂でした。

ちなみにここには、写真1でも見えているとおり、坂名の由来が書かれている坂の碑があったので、いつものように抜粋させていただくとですね、
『この坂上の大聖院境内にある「紅皿の碑」にちなみ、こう呼ばれるようになった。紅皿は、太田道灌の山吹の里伝説で、雨具がないことを古歌に託して、道灌に山吹の一枝を捧げた女性である。』
とありました。

ここは西向天神社の境内では?と僕も思って調べたところ、大聖院は明治時代の神仏分離により、西向天神社から分離したお寺ということみたいですね。

そして、太田道灌の山吹の里伝説については、江戸東京博物館のHPにわかりやすい説明があったので、こちらも抜粋させていただくとですね、
『「山吹の里」伝説とは、鷹狩に出た太田道灌がにわか雨にあい、立ち寄った農家の娘に蓑を乞うたところ、娘は和歌(「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき」)とともに山吹の一枝を渡したのみで蓑を貸さなかった。道灌はその意図が分からなかったが、のちに古歌に娘が自分の想いを託したと知り、己の無知を恥じてその後和歌を学び大成したという伝説である。』
とのこと。

なるほど、雨具がないことを古歌に託すとは奥が深い話ですね。

山吹坂【NO.638】2
写真2

写真1の背後に大聖院はありました。(写真2)
お寺の公式HPのようなものはなかったのですが、新宿区による新宿文化観光資源案内サイトによれば、『正式には梅松山大聖院という。創建年代は不明ながら、中世には春日部にあり本山派修験不動院と号した。その後当地へ移転し、西向天神社の別当として天台宗本山派の江戸番所を勤めた。』とのこと。

[坂下あたりの様子]


山吹坂【NO.638】3
写真3

坂下あたりの様子です。(写真3)
奥の樹木が見えているあたりが階段上なので、けっこうな高低差がありましたね。

ここは新宿の伊勢丹や花園神社からなら直線で500から700mほどしか離れていないのに、このような高低差があり、そういう意味でも興味深い場所でしたね。

ということで、今回はこんな感じです。

地図:東京都新宿区新宿


関連リンク:  →  禿坂/新宿区富久町【NO.353】- 東京坂道さんぽ