住所:神奈川県川崎市中原区上丸子天神町

前回取り上げたあきる野市の宮坂【NO.614】で幻のレース場の話がでたので、今回はレース場つながりで、今年訪れた多摩川スピードウェイ跡について取り上げてみたいと思います。

場所は、東急東横線・多摩川駅の南西側すぐの多摩川と東急東横線の線路が交差しているあたりの川崎市側にありました。

[多摩川スピードウェイ跡の様子]


多摩川スピードウェイ跡をぶらり1
写真1

写真1右側が、東急東横線の線路がある高架橋ですね。(写真1)
見た目は多摩川の河川敷ですが、ここにかつて日本初の常設サーキットである多摩川スピードウェイがあったんですよ。

ちなみに3年ほど前までは、多摩川スピードウェイの観客席も残されていたんですけど、治水対策に伴う堤防強化工事により取り壊されてしまいました。

なので、今はその記憶を伝えている案内板が写真1中央下にあるのみでしたね。

[多摩川スピードウェイについて]


多摩川スピードウェイ跡をぶらり2
写真2

写真1でも見えていた案内板をアップで撮ってみました。(写真2)

説明では多康川スピードウェイのことと、かつてここにあった観客席について書かれてありましたね。
せっかくなので、抜粋させていただくとですね、
『多康川スピードウェイ:多康川スピードウェイは、日本初の常設サーキットとしてこの地に建設されました。階段状のコンクリート製場防は、当時の観客席そのものです。1936年6月の第1回大会以降、ここで第2次世界大戦前の数年間を中心に自動車・オートバイのレースが開催され、3万人の観客を集めていました。若き日の本田宗一郎氏をはじめ、出場者・関係者の多くは、レースで得た技術・経験を活かし、戦後の自動車産業の発展において中心的な役割を果たしました。開場80周年を機に、多摩川スピードウェイが果たした役割と、先人たちの功續を後世に語り継ぐべく、この碑に記します。』

上記は写真2左側の説明で、次は右側です
『観客席について:1936年の開場時には、楕円形コースとあわせて長さ300mの階段状のコンクリート製観客席が堤防上に建設されました。コンクリート部分の厚みは、最大で30cm近くありました。2016年に当会は、多摩川スピードウェイ跡地保存のシンボルとして、竣工当時のまま現存していた観客席に「開場80周年記念プレート」を設置し、川崎市に寄贈しました。しかし、2021年に治水対策に伴う堤防強化工事により観客席は取り壊され、3席分のみをここに移設しています。この観客席を、日本の自動車産業発展の確としてだけでなく、85年以上にわたりこの地に存在した産業遺産・史跡として後世に伝えるべく、この碑に記します。』
とありました。

[取り壊し前の多摩川スピードウェイ観客席の様子]


多摩川スピードウェイ跡をぶらり3
写真3

こちらは、多摩川スピードウェイ観客席の取り壊し前の様子です。(写真3)
2021年8月に撮ったものなので、ほんとうに取り壊し直前でしたね。

このときも案内板はあり、写真3左から中央にかけてのコンクリでできた階段状の構造物が、かつての多康川スピードウェイの観客席ですね。

多摩川スピードウェイ跡をぶらり4
写真4

違う角度からも見てみました。(写真4)

ここから見ると階段と言ってもいいくらいの様子でしたね。

[多摩川スピードウェイ跡の現在]


多摩川スピードウェイ跡をぶらり5
写真5

こちらは、写真4とだいたい同じ位置から、かつてあった観客席あたりを見てみたものです。(写真5)
この新堤防が完成した当時はこんなに緑がなかったようですね。
なので、正確には比べられないですけど、傾斜は観客席があったときよりきつくなっているように思えましたね。

現地では、これなら前とそんなに変わらないのでは?と無知な感想を浮かべてしまいましたけど、観客席のコンクリの劣化とか、それによる崩壊の危険とかいろいろと問題もあったんでしょうね。
そこはここを計画された方々を信じるしかなさそうです。

でもまあ説明板が残っていたのは、正直ほっとしましたね。

ということで今回はこんな感じです。

地図
神奈川県川崎市中原区上丸子天神町

関連リンク:  
→ 宮坂【NO.614】/東京サマーランドの歴史もあわせて/あきる野市引田 - 東京坂道さんぽ
→ Vol1. 多摩川初のレース『第1回全日本自動車競争大會』(1936年6月7日) (youtube/多摩川スピードウェイの会 / Tamagawa Speedway Society【公式】)