NO. 614
坂名:宮坂
住所:東京都あきる野市引田
今回は、あきる野市の宮坂について取り上げてみたいと思います。
場所はJR五日市線・武蔵引田駅から南に1kmほどのところにあるあきる野市立一の谷小学校のすぐ北側にある坂道です。
前回取り上げた行堂坊坂【NO.613】からなら東に徒歩4分ほどのところでしたね。

写真1
まずは坂上あたりの様子です。(写真1)
急カーブが坂上からも見えていますけど、ここは右に180度に近い具合で曲がりながら下っている坂道でした。
このあたりの勾配があまりに急だったので、スマホの角度傾斜計アプリで測ってみると、18.1%(10.3°)とでましたね。
やはり体感でも感じましたが、急な坂道でしたね。
崖地具合もすごかったですね。
また遠くには、都立秋川丘陵自然公園もある秋川丘陵とともに、なかなかの外観の東京サマーランドのアドベンチャードームも見えていましたね。
このあたりののどかな雰囲気とのコントラストが印象的でしたね。

写真2
中腹あたりのカーブを曲がるあたりの景色も印象的でしたね。(写真2)
秋川丘陵とともに東京サマーランドの観覧車も見えていました。
距離的には、秋川を挟んでますけど、300mくらいでしたね。
これだけでてくると、東京サマーランドについてもふれて見たいと思いますけど、あそこは簡単にいえば遊園地ですね。
ただ、この東京サマーランドができた経緯を知ると、僕も含めてF1レース好きの方にとっても、かなり興味深い経緯をたどった場所ということがわかりましたね。
というのも、1960年中頃、この地に自動車レース場を計画する話が持ち上がったそうで、なんと運営会社として東京サーキットまでが設立されたらしいのですが、諸般の事情によりレース場は建設されず、代わりにできたのが東京サマーランドだったそうです。
しかも、この計画されていたレース場は、F1GPでも有名な鈴鹿サーキット(1962年開業)に、船橋サーキット(1965年開業1967年閉鎖)と富士スピードウェイ(1966年開業)に続く、本格的な国内第4のサーキットとして計画が進められていたそうですね。
さすがにこのことを知ったときはびっくりしましたね。(^^)
でも、このことを知ってから地図をみると、たしかに東京サマーランド周辺もレース会場を前提にしたような広い場所(ゴルフ練習場もそうですね)もあって、なるほどなと思ってみたり。
とにかくもしそのまま計画が進んでいたら、この地でF1レースが開催されていた可能性もあったのかもしれないですよね。
いやはや。

写真3
中腹あたりから坂上方向を見てみました。(写真3)
崖地の擁壁の存在感がすごかったです。

写真4
中腹あたりから坂下方向を見てみました。(写真4)
東京サマーランドの経緯を知ってからこの緑豊かな景色をみるとまた違った感じにも見えてきたような。

写真5
坂下あたりから坂上方向を見てみました。(写真5)
ここからだと崖上まで見えるのでわかりやすいですけど、かなりの高低差の坂道でしたね。
ちなみにここには、坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、秋川市による「秋川市地名考」にこの坂道について記載があり、抜粋させていただくとですね、『大宮神社の東側を渕上に出る坂を宮坂という。またこの付近を「堂バケ」という。』とありました。
なお、坂名の由来となった大宮神社は写真5の左側にありました。

写真6
最後は大宮神社の様子です。(写真6)
天平年間(729-748)に山城国宇治の浪士舘林嘉門が、出雲大社の土を持ってきて祠に納めて創祀したことがはじまりとのこと。
こちらも近くの真照寺と同様、かなり古くからある神社のようですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
東京都あきる野市引田
関連リンク:
→ 行堂坊坂【NO.613】/あきる野市引田 - 東京坂道さんぽ
→ 東京サマーランド
坂名:宮坂
住所:東京都あきる野市引田
今回は、あきる野市の宮坂について取り上げてみたいと思います。
場所はJR五日市線・武蔵引田駅から南に1kmほどのところにあるあきる野市立一の谷小学校のすぐ北側にある坂道です。
前回取り上げた行堂坊坂【NO.613】からなら東に徒歩4分ほどのところでしたね。
[坂上あたりは急坂]

写真1
まずは坂上あたりの様子です。(写真1)
急カーブが坂上からも見えていますけど、ここは右に180度に近い具合で曲がりながら下っている坂道でした。
このあたりの勾配があまりに急だったので、スマホの角度傾斜計アプリで測ってみると、18.1%(10.3°)とでましたね。
やはり体感でも感じましたが、急な坂道でしたね。
崖地具合もすごかったですね。
また遠くには、都立秋川丘陵自然公園もある秋川丘陵とともに、なかなかの外観の東京サマーランドのアドベンチャードームも見えていましたね。
このあたりののどかな雰囲気とのコントラストが印象的でしたね。
[中腹あたりからも見える東京サマーランドの歴史]

写真2
中腹あたりのカーブを曲がるあたりの景色も印象的でしたね。(写真2)
秋川丘陵とともに東京サマーランドの観覧車も見えていました。
距離的には、秋川を挟んでますけど、300mくらいでしたね。
これだけでてくると、東京サマーランドについてもふれて見たいと思いますけど、あそこは簡単にいえば遊園地ですね。
ただ、この東京サマーランドができた経緯を知ると、僕も含めてF1レース好きの方にとっても、かなり興味深い経緯をたどった場所ということがわかりましたね。
というのも、1960年中頃、この地に自動車レース場を計画する話が持ち上がったそうで、なんと運営会社として東京サーキットまでが設立されたらしいのですが、諸般の事情によりレース場は建設されず、代わりにできたのが東京サマーランドだったそうです。
しかも、この計画されていたレース場は、F1GPでも有名な鈴鹿サーキット(1962年開業)に、船橋サーキット(1965年開業1967年閉鎖)と富士スピードウェイ(1966年開業)に続く、本格的な国内第4のサーキットとして計画が進められていたそうですね。
さすがにこのことを知ったときはびっくりしましたね。(^^)
でも、このことを知ってから地図をみると、たしかに東京サマーランド周辺もレース会場を前提にしたような広い場所(ゴルフ練習場もそうですね)もあって、なるほどなと思ってみたり。
とにかくもしそのまま計画が進んでいたら、この地でF1レースが開催されていた可能性もあったのかもしれないですよね。
いやはや。

写真3
中腹あたりから坂上方向を見てみました。(写真3)
崖地の擁壁の存在感がすごかったです。

写真4
中腹あたりから坂下方向を見てみました。(写真4)
東京サマーランドの経緯を知ってからこの緑豊かな景色をみるとまた違った感じにも見えてきたような。
[坂下あたりの様子と坂名の由来について]

写真5
坂下あたりから坂上方向を見てみました。(写真5)
ここからだと崖上まで見えるのでわかりやすいですけど、かなりの高低差の坂道でしたね。
ちなみにここには、坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、秋川市による「秋川市地名考」にこの坂道について記載があり、抜粋させていただくとですね、『大宮神社の東側を渕上に出る坂を宮坂という。またこの付近を「堂バケ」という。』とありました。
なお、坂名の由来となった大宮神社は写真5の左側にありました。
[大宮神社について]

写真6
最後は大宮神社の様子です。(写真6)
天平年間(729-748)に山城国宇治の浪士舘林嘉門が、出雲大社の土を持ってきて祠に納めて創祀したことがはじまりとのこと。
こちらも近くの真照寺と同様、かなり古くからある神社のようですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
東京都あきる野市引田
関連リンク:
→ 行堂坊坂【NO.613】/あきる野市引田 - 東京坂道さんぽ
→ 東京サマーランド