今回は、聖蹟桜ヶ丘のせきど観音 観音寺とその前の坂道がよかったので、そのときのことでも。

せきど観音 観音寺よこの坂道1
写真1

せきど観音 観音寺の前の坂道です。(写真1)

場所は、前回取り上げた旧鎌倉街道と無名武士の墓のある場所(記事名:旧鎌倉街道と無名武士の墓への階段)からなら南西に徒歩2分ほどのところにありました。
また写真1背後の桜ヶ丘の高台を上れば、徒歩7分ほどで、いろは坂【NO.296】にもいけますね。

写真1の左側がせきど観音 観音寺で、旧鎌倉街道とは坂下で合流している坂道でしたね。
無名坂ですけど、坂道景色的にも立地的にも気になる坂道でしたね。

せきど観音 観音寺よこの坂道2
写真2

写真1の場所からすこし下ったあたりに、せきど観音 観音寺の本殿に向かう階段がありました。(写真2)

せきど観音 観音寺については公式HPに説明があったので、抜粋させていただくとですね、
『せきど観音 慈眼山唐仏院観音寺の創建は、建久三年(1192年)後鳥羽天皇の御代、唐僧が聖観世音菩薩を草庵に安置したのがはじまり。(略)寺の近くを通る旧鎌倉街道沿いは「関戸古戦場跡」と云われる。分倍河原の合戦に敗れ、鎌倉街道を敗走する幕府北条軍を討幕新田軍が追撃し、幕府方の横溝八郎や阿保入道父子らの忠臣が、関戸の地に踏みとどまって防衛したものの、敗北をきっする。(元弘三年・1333年5月16日)北条軍敗北の地、関戸の戦跡に近いこともあり、観音寺では、関戸合戦有縁無縁精霊・阿保入道父子精霊・横溝八郎朝臣精霊の位牌を、大切にお祀りしている。』
とありました。

旧鎌倉街道沿いの「関戸古戦場跡」のことは、前回取り上げた旧鎌倉街道と無名武士の墓のある場所での記事(記事名:旧鎌倉街道と無名武士の墓への階段)で取り上げましたが、この説明もわかりやすいですね。

ちなみに境内の本堂前には「なで観音」もありました。
今のゆるキャラのようなお顔の観音像で(^^)、写真は載せませんけど、せきど観音 観音寺の公式HP(記事最後にもリンクしています)に写真はあるので、見てみてください。
関戸古戦場跡がすぐそばにあること想像すると、なかなか興味深いコントラストを感じる観音像でもあるので。

あとは、このお寺の歴史を知った上で、再び、今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治39年の地図に写真1の坂道は記載がないんですよね。
しかもお寺のマークも最近になるまでないんですよ。

そういう意味でもちょっと気になるというか、不思議な場所でしたね。

ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
東京都多摩市関戸

関連リンク:  
→    旧鎌倉街道と無名武士の墓への階段/多摩市関戸 - 東京坂道さんぽ
→    いろは坂【NO.296】/ 映画「耳をすませば」にでてくる坂道 /多摩市桜ケ丘  - 東京坂道さんぽ
→   せきど観音 観音寺 なで観音のお寺 聖蹟桜ヶ丘