NO. 599
坂名:堂坂
住所: 東京都多摩市連光寺

今回は、多摩市の堂坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、京王線相模原線・京王永山駅および小田急多摩線・小田急永山駅の北東に1kmほどのところにある都立桜ヶ丘公園から北西に徒歩5分ほどのところあります。
前に取り上げた寺坂【NO.598】からなら北に徒歩1分ほどのところです。

堂坂【NO.599】1
写真1

まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
ぐぐっとカーブしながら上っている坂道でした。

写真1背後には乙田川が流れていましたね。

ちなみにここには、坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでした。
由来については、この坂下あたりにお堂があったからという説が有力ですね。
またこのお堂は連光寺にゆかりのあるものだったという説も。

あとは、写真1の背後の乙田川を渡った向こう側(西側)に地蔵菩薩像があり、その一帯はかつての関戸古戦場だったと言われているそうですよ。

堂坂【NO.599】2
写真2

中腹あたりから坂上方向を見てみました。(写真2)
あいかわらずカーブは続いていました。

なお今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治39年の地図にも今と同じ場所に記載があるにはあるのですが、昔はここから坂上あたりの道はなく、もう少し左にカーブしてまた右にカーブしながら上り、坂上あたりに行く坂道だったようですね。

堂坂【NO.599】3
写真3

最後は坂上あたりにある歩道橋からの坂道の眺めです。(写真3)
歩道橋の階段は写真2でも見えていましたね。

古地図を見た感じでは写真3で見えている坂道部分が、昭和29年の地図にでてくるまではなかったところですね。

なので、言葉でうまく伝わらないかもしれないですが、かつての坂道は、写真3でいえば、奥の坂道が見えなくなっているあたりから写真3右に曲がり、そこから写真3左にカーブしながら急坂になって、ちょうどこの僕が立っている高さレベルの道に合流したようですね。

なお写真3左方向にすこし行くと(徒歩1分)、大昔からあったという寺坂【NO.598】に合流するという立地具合でした。

だから、このあたりは、昔、斜面だったところを造成したため、このような切通しになっているんでしょうし、そういう視点で見れば、写真2左の崖上の路地に「明治天皇連光寺御小休所」の石碑があって、なぜこの場所なんだろ?と思ったんですけど、これもなんだか辻褄が合うような気がしましたね。

ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
東京都多摩市連光寺

関連リンク:
 →   寺坂【NO.598】/多摩市連光寺 - 東京坂道さんぽ