NO. 598
坂名:寺坂
住所: 東京都多摩市連光寺
今回は、多摩市の寺坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、京王線相模原線・京王永山駅および小田急多摩線・小田急永山駅の北東に1kmほどのところにある都立桜ヶ丘公園の北西側すぐの場所にあります。
前に取り上げた連光寺坂【NO.596】からなら、南西に徒歩5分ほどですね。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
ここは地図ではまっすぐな道のように描かれてますけど、実際には写真1のような具合にくねくねとカーブしながら上っている坂道でした。
写真1でも見えてますけど、すこし上ったところには高西寺が隣接していました。

写真2
坂道からみた高西寺の様子ですね。(写真2)
高西寺の公式HPによれば、「高西寺は曹洞宗開祖、道元禅師の開かれた永平寺を基に、全国一万五千寺に及ぶ、曹洞宗の一ヶ寺として存在し、寿徳三世超厳守周和尚が慶長四年(一五九九年)に開山し、名を神明高西寺として開かれました。」とのこと。
歴史のあるお寺のようですね。
ちなみに本堂などの建物は、1999年に開創400年を記念して新築されたとのこと。
設計は、入江三宅設計事務所が手掛けているとのこと。
見た目はまさに古風な和風たたずまいだったので、設計者の名前を聞いたときはびっくりしましたね。

写真3
中腹あたりから坂下方向を見てみました。(写真3)
白い塀の奥は高西寺の敷地で高い建物がなかったので、景色も開けていましたね。
ちなみにここには、坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでした。
由来については、寺坂の”寺”は、前に取り上げたここからすぐ近くにある寺坂【NO.597】と同じく、連光寺を意味しているというのが有力な説のようですね。
連光寺については、連光寺坂【NO.596】のときにふれましたけど、今回のも地名の由来になったお寺(連光寺)自体ということみたいです。
なおそのお寺(連光寺)はどこにあったのかはいまだにわかっていないそうです。

写真4
坂上あたりの様子です。(写真4)
写真4の左側にはなにやら案内板があり、「歴史古道が眠る高西寺通り」と書かれていて、気になる説明が書かれていましたよ。
一部抜粋するとですね、
『高西寺山門前から続くこの道は、かつての「鎌倉街道早ノ道」の跡です。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の時代に、いち早く鎌倉へ向かう為に早馬や急便が駆け抜けたという軍道でした。
(略)
その結果、最大の道幅は十二メートルという国内大級の道路跡であった事が判明され、この道はかって飛鳥の藤原京や、奈良の平城京と武蔵国を結び、防人(さきもり)や都人(みやこびと)たちも歩いたといわれる国道「古代東海道」である事がわかりました。』
とありました。
省いたあたりのことも含めるとですね、1988年にこの道について本格的な発掘調査をした結果、国内大級の道路跡であったことがわかり、国道「古代東海道」であることがわかったということだそうですよ。
とにかくこの坂道はかなり昔からあったということみたいですね。
だからこそ、前回取り上げた坂道の記事(記事名:対鷗台公園そばの坂道と向ノ岡)で出てきた小野小町も、このあたり(向ノ岡)のことを読んだ和歌を残したのかもしれないかもなあと、妄想してみるなど。
あとは、写真4でも見えていますけど、案内板のうしろには庚申塔もあるようでしたね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都多摩市連光寺
関連リンク:
→ 連光寺坂【NO.596】/多摩市連光寺 - 東京坂道さんぽ
→ 寺坂【NO.597】/多摩市連光寺 - 東京坂道さんぽ
→ 対鷗台公園そばの坂道と向ノ岡/多摩市連光寺 - 東京坂道さんぽ
→ 多摩市連光寺にある曹洞宗の寺院|宗教法人高西寺
→ 庚申塔(こうしんとう)って何 _ 目黒区
坂名:寺坂
住所: 東京都多摩市連光寺
今回は、多摩市の寺坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、京王線相模原線・京王永山駅および小田急多摩線・小田急永山駅の北東に1kmほどのところにある都立桜ヶ丘公園の北西側すぐの場所にあります。
前に取り上げた連光寺坂【NO.596】からなら、南西に徒歩5分ほどですね。
[坂下あたりの様子と高西寺]

写真1
まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
ここは地図ではまっすぐな道のように描かれてますけど、実際には写真1のような具合にくねくねとカーブしながら上っている坂道でした。
写真1でも見えてますけど、すこし上ったところには高西寺が隣接していました。

写真2
坂道からみた高西寺の様子ですね。(写真2)
高西寺の公式HPによれば、「高西寺は曹洞宗開祖、道元禅師の開かれた永平寺を基に、全国一万五千寺に及ぶ、曹洞宗の一ヶ寺として存在し、寿徳三世超厳守周和尚が慶長四年(一五九九年)に開山し、名を神明高西寺として開かれました。」とのこと。
歴史のあるお寺のようですね。
ちなみに本堂などの建物は、1999年に開創400年を記念して新築されたとのこと。
設計は、入江三宅設計事務所が手掛けているとのこと。
見た目はまさに古風な和風たたずまいだったので、設計者の名前を聞いたときはびっくりしましたね。
[中腹あたりからの様子と坂名の由来]

写真3
中腹あたりから坂下方向を見てみました。(写真3)
白い塀の奥は高西寺の敷地で高い建物がなかったので、景色も開けていましたね。
ちなみにここには、坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでした。
由来については、寺坂の”寺”は、前に取り上げたここからすぐ近くにある寺坂【NO.597】と同じく、連光寺を意味しているというのが有力な説のようですね。
連光寺については、連光寺坂【NO.596】のときにふれましたけど、今回のも地名の由来になったお寺(連光寺)自体ということみたいです。
なおそのお寺(連光寺)はどこにあったのかはいまだにわかっていないそうです。
[坂上あたりの様子と古道]

写真4
坂上あたりの様子です。(写真4)
写真4の左側にはなにやら案内板があり、「歴史古道が眠る高西寺通り」と書かれていて、気になる説明が書かれていましたよ。
一部抜粋するとですね、
『高西寺山門前から続くこの道は、かつての「鎌倉街道早ノ道」の跡です。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の時代に、いち早く鎌倉へ向かう為に早馬や急便が駆け抜けたという軍道でした。
(略)
その結果、最大の道幅は十二メートルという国内大級の道路跡であった事が判明され、この道はかって飛鳥の藤原京や、奈良の平城京と武蔵国を結び、防人(さきもり)や都人(みやこびと)たちも歩いたといわれる国道「古代東海道」である事がわかりました。』
とありました。
省いたあたりのことも含めるとですね、1988年にこの道について本格的な発掘調査をした結果、国内大級の道路跡であったことがわかり、国道「古代東海道」であることがわかったということだそうですよ。
とにかくこの坂道はかなり昔からあったということみたいですね。
だからこそ、前回取り上げた坂道の記事(記事名:対鷗台公園そばの坂道と向ノ岡)で出てきた小野小町も、このあたり(向ノ岡)のことを読んだ和歌を残したのかもしれないかもなあと、妄想してみるなど。
あとは、写真4でも見えていますけど、案内板のうしろには庚申塔もあるようでしたね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都多摩市連光寺
関連リンク:
→ 連光寺坂【NO.596】/多摩市連光寺 - 東京坂道さんぽ
→ 寺坂【NO.597】/多摩市連光寺 - 東京坂道さんぽ
→ 対鷗台公園そばの坂道と向ノ岡/多摩市連光寺 - 東京坂道さんぽ
→ 多摩市連光寺にある曹洞宗の寺院|宗教法人高西寺
→ 庚申塔(こうしんとう)って何 _ 目黒区
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