今回は対鷗台公園そばの坂道を歩いていると、いくつかの土地の記憶を辿れる場所に出会ったので、今回はそのときのことなど。
写真1
対鷗台公園は、前回取り上げた寺坂【NO.597】と隣接している東西に細長い公園でした。
写真1は、そんな対鷗台公園内にあった案内板です。(写真1)
ここには、対鷗荘跡地と書かれていました。
園内にはこんな具合の案内柱がいたるところにありましたね。
今回は、その中でもひときわ情報量の多い内容の説明板があり、対鷗台公園の由来について書かれてあったので、いきなりですけど、いつものように抜粋させていただくとですね、
『この公園のある連光寺一帯は向ノ岡と呼ばれ、明治天皇が兎狩りや鮎魚に訪れた地です。明治天皇の行幸を記念して、昭和5年(1930)には現在の都立桜ヶ丘公園内に多摩聖蹟記念館が建設され、その前年に明治天皇にゆかりの深い建物として隅田川河畔の橋場(台東区)にあった対鷗荘がこの地に移築されました。対鷗荘は、幕末から明治の有力政治家であった三条実美が明治6年(1873)に建てた別荘で、岩倉具視から専贈された茶室「松華洞」もありました。明治天皇は、「征韓論」をめぐる政争で病に倒れた三条実美を見舞いに橋場の対鷗荘を訪れています。昭和4年(1929) にこの地に移築された対鷗荘には、戦前に多くの観光客などが訪れましたが、戦後になると飲食店として利用され、昭和63年(1988)に土地開発のため取り壊されました。現在は復元模型が作られ、旧多摩聖蹟記念館で見ることができます。「対鷗台公園」の名称は、対鷗荘のあった高台という意味で付けられました。また、この公園から東側、現在の向ノ岡桜橋に向かう道路沿いには、古歌に飲まれた向ノ岡として、江戸時代の未期には桜の木が多数値えられました。大正から昭和初期にかけては、草競馬が開催されたことから「桜馬場」と呼ばれていました。付近には桜楽軒という茶屋も設けられ、戦前には花見時に都会から多くの来遊者も訪れて、大いに賑わっていました。』
とありました。
寺坂【NO.597】の坂道風景を思い出しながら読んでもらうとさらに想像が膨らむかもです。
とにかく、この地にかつて対鷗荘があり、高台であったことからの公園名ということのようですね。
写真2
実は写真1の案内板に、かつてこの地にあった対鷗荘の外観の写真も貼り付けてありました。(写真2)
僕自身、現地では気がつかなくて、さっきこのことに気がついたんですけどね。😅
立派な和風建築だったようですね。
説明では「移築された対鷗荘には、戦前に多くの観光客などが訪れましたが、戦後になると飲食店として利用され」とあるので、戦前、戦後ともに飲食のできる休憩処として有名だったんでしょうね。
<
写真3
こちらは寺坂【NO.597】の坂上から北にさらに上っている坂道の様子です。(写真3)
ここの坂上は、これまた前に取り上げた坂道の記事(記事名:川崎街道の向ノ岡大橋と坂道 )ででてきた桜橋につながっているという立地具合のところですね。
カーブしながら上り、写真3左側は対鷗台公園ということもあり、坂道とともに樹木も印象的でした。
写真4
さらに坂道を上ると、いくつかの石碑がすぐ横の対鷗台公園内にありましたね)。(写真4)
まずひとつは「小野小町歌碑」があり、写真4でいえば右側に見えているのがそれですね。
どうやら、小野小町(平安時代の女流歌人)がこのあたり(向ノ岡)のことを読んだ和歌があるらしく、その歴史を伝えるべく置かれた石碑と案内板のようでした。
案内板には、その和歌も書かれてありました。
以下は、書き下し文の抜粋です。
「
題しらず 小野小町
武蔵野の
向の岡の草
なれば
根を尋ねても
哀れとぞ
思ふ
」
新勅撰和歌集(文暦2年/1235年完成)に収められている和歌とのこと。
ちなみに実際にここを訪れて書いたのかは不明らしいですけど。
写真5
写真4の右奥横にも石碑がありましたね。(写真5)
写真5中央に見えているのが「向ノ岡御野立所碑」とのこと。
横の案内板には「明治天皇が兎狩に行幸のおり休憩された場所である。」と書かれてありましたね。
また左側の石碑は「御駒桜碑」とのこと。
こちらは明治天皇の行幸のおりに 御馬をつなぎとめた桜があったことを伝えるためとのこと。
ちなみに桜がでてきましたけど、目の前に見えている大きな木も桜のようでしたね。
これは、対鷗荘があったころ、このあたりが桜の名所だったことから、のちに地元の方々が植えたものなのかもしれないですね。
そういう意味では、写真4の坂道も明治天皇が通ったことのある坂道とも言えるのかもしれないですね。
写真6
最後は、前に取り上げた坂道の記事(記事名:川崎街道の向ノ岡大橋と坂道 )でもでてきた風景で、ちょうど写真5中央の柵のあるあたりからの眺めですね。(写真6)
この景色と対鷗荘と桜があればたしかに観光名所になるだろうなあと思ってしまいましたね。
今はひっそりとした人通りの少ない場所でしたけどね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都多摩市連光寺
関連リンク:
→ 寺坂【NO.597】/多摩市連光寺 - 東京坂道さんぽ
→ 川崎街道の向ノ岡大橋と坂道 /多摩市連光寺 - 東京坂道さんぽ
写真1
対鷗台公園は、前回取り上げた寺坂【NO.597】と隣接している東西に細長い公園でした。
写真1は、そんな対鷗台公園内にあった案内板です。(写真1)
ここには、対鷗荘跡地と書かれていました。
園内にはこんな具合の案内柱がいたるところにありましたね。
今回は、その中でもひときわ情報量の多い内容の説明板があり、対鷗台公園の由来について書かれてあったので、いきなりですけど、いつものように抜粋させていただくとですね、
『この公園のある連光寺一帯は向ノ岡と呼ばれ、明治天皇が兎狩りや鮎魚に訪れた地です。明治天皇の行幸を記念して、昭和5年(1930)には現在の都立桜ヶ丘公園内に多摩聖蹟記念館が建設され、その前年に明治天皇にゆかりの深い建物として隅田川河畔の橋場(台東区)にあった対鷗荘がこの地に移築されました。対鷗荘は、幕末から明治の有力政治家であった三条実美が明治6年(1873)に建てた別荘で、岩倉具視から専贈された茶室「松華洞」もありました。明治天皇は、「征韓論」をめぐる政争で病に倒れた三条実美を見舞いに橋場の対鷗荘を訪れています。昭和4年(1929) にこの地に移築された対鷗荘には、戦前に多くの観光客などが訪れましたが、戦後になると飲食店として利用され、昭和63年(1988)に土地開発のため取り壊されました。現在は復元模型が作られ、旧多摩聖蹟記念館で見ることができます。「対鷗台公園」の名称は、対鷗荘のあった高台という意味で付けられました。また、この公園から東側、現在の向ノ岡桜橋に向かう道路沿いには、古歌に飲まれた向ノ岡として、江戸時代の未期には桜の木が多数値えられました。大正から昭和初期にかけては、草競馬が開催されたことから「桜馬場」と呼ばれていました。付近には桜楽軒という茶屋も設けられ、戦前には花見時に都会から多くの来遊者も訪れて、大いに賑わっていました。』
とありました。
寺坂【NO.597】の坂道風景を思い出しながら読んでもらうとさらに想像が膨らむかもです。
とにかく、この地にかつて対鷗荘があり、高台であったことからの公園名ということのようですね。
写真2
実は写真1の案内板に、かつてこの地にあった対鷗荘の外観の写真も貼り付けてありました。(写真2)
僕自身、現地では気がつかなくて、さっきこのことに気がついたんですけどね。😅
立派な和風建築だったようですね。
説明では「移築された対鷗荘には、戦前に多くの観光客などが訪れましたが、戦後になると飲食店として利用され」とあるので、戦前、戦後ともに飲食のできる休憩処として有名だったんでしょうね。
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写真3
こちらは寺坂【NO.597】の坂上から北にさらに上っている坂道の様子です。(写真3)
ここの坂上は、これまた前に取り上げた坂道の記事(記事名:川崎街道の向ノ岡大橋と坂道 )ででてきた桜橋につながっているという立地具合のところですね。
カーブしながら上り、写真3左側は対鷗台公園ということもあり、坂道とともに樹木も印象的でした。
写真4
さらに坂道を上ると、いくつかの石碑がすぐ横の対鷗台公園内にありましたね)。(写真4)
まずひとつは「小野小町歌碑」があり、写真4でいえば右側に見えているのがそれですね。
どうやら、小野小町(平安時代の女流歌人)がこのあたり(向ノ岡)のことを読んだ和歌があるらしく、その歴史を伝えるべく置かれた石碑と案内板のようでした。
案内板には、その和歌も書かれてありました。
以下は、書き下し文の抜粋です。
「
題しらず 小野小町
武蔵野の
向の岡の草
なれば
根を尋ねても
哀れとぞ
思ふ
」
新勅撰和歌集(文暦2年/1235年完成)に収められている和歌とのこと。
ちなみに実際にここを訪れて書いたのかは不明らしいですけど。
写真5
写真4の右奥横にも石碑がありましたね。(写真5)
写真5中央に見えているのが「向ノ岡御野立所碑」とのこと。
横の案内板には「明治天皇が兎狩に行幸のおり休憩された場所である。」と書かれてありましたね。
また左側の石碑は「御駒桜碑」とのこと。
こちらは明治天皇の行幸のおりに 御馬をつなぎとめた桜があったことを伝えるためとのこと。
ちなみに桜がでてきましたけど、目の前に見えている大きな木も桜のようでしたね。
これは、対鷗荘があったころ、このあたりが桜の名所だったことから、のちに地元の方々が植えたものなのかもしれないですね。
そういう意味では、写真4の坂道も明治天皇が通ったことのある坂道とも言えるのかもしれないですね。
写真6
最後は、前に取り上げた坂道の記事(記事名:川崎街道の向ノ岡大橋と坂道 )でもでてきた風景で、ちょうど写真5中央の柵のあるあたりからの眺めですね。(写真6)
この景色と対鷗荘と桜があればたしかに観光名所になるだろうなあと思ってしまいましたね。
今はひっそりとした人通りの少ない場所でしたけどね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都多摩市連光寺
関連リンク:
→ 寺坂【NO.597】/多摩市連光寺 - 東京坂道さんぽ
→ 川崎街道の向ノ岡大橋と坂道 /多摩市連光寺 - 東京坂道さんぽ