今回は、足立区の鹿浜橋からの荒川の眺めから、いろいろなことがわかったので、今回はそのことについてなど。

写真1
鹿浜橋からの荒川下流方向の眺めです。(写真1)
鹿浜橋は、前回取り上げたさくら坂【NO.591】の坂上からも見えていて、荒川の上流方向に700mほどのところにあったので立ち寄ってみました。
やはり大きい川ですね。
前回取り上げたさくら坂【NO.591】とふじみ坂【NO.590】が敷地内にあるハートアイランド新田は写真1右側の鉄塔奥に見えていました。
遠くには、アーチが特徴的な五色桜大橋と東京スカイツリーの先っぽも見えていましたね。
ちなみに、地図を見て気が付いたんですが、写真1の背後、要は荒川の上流方向に2kmもいかないところに隅田川のはじまりの場所があったんですね。
そしてですね、前に取り上げたふじみ坂【NO.590】の坂上そばでしたかね、そこには「荒川の五色桜」という観光案内板があって、そこには、『明治30年頃から昭和初期にかけて、荒川堤は日本有数の桜の名所として人々に親しまれていました。1886年(明治19年)、江北地域の堤防に、八重桜を中心に70種類以上の桜が植えられたのが始まりといわれています。盛時には、そのさまざまな彩りから「荒川の五色桜」と呼ばれていました。その後、公害や堤防工事、戦争により衰退してしまいました。この「荒川の五色桜」をここ新田地区でも再現し、華やかな景観を取り戻すために、かって植えられていた桜の中から多くの種類の桜を選び、植栽しています。』
と書かれてありました。
歩いたときは、ふむむ?という感じだったんですけど、写真1からも見えていた五色桜大橋の名前の由来も、この付近の荒川堤一帯がかつて五色の桜が咲く名所だったことから付けられたとあり、調べてみるとなかなか興味深い土地の記憶がわかりましたね。
このあたりは、荒川堤と呼ばれていて、「荒川の五色桜」の説明にもあったとおり、日本有数の桜の名所だったそうですが、昭和20年代に姿を消してしまったそうです。

画像
こちらは、内閣府のHP「アメリカと日本を結ぶ桜」にあった画像で、1920年(大正9年)頃の荒川の五色桜を描いた絵葉書もあったので引用させてもらいました。
デフォルメされているのか、当時もこの色だったのかわかりませんけど、たしかに五色の桜ですね。
左側はよくアメリカでの桜のニュースでも流れる場所ですね。
どうやら、ポトマック河畔に植樹された桜はここの五色桜だったようですね。
内閣府のHPに植樹以後のわかりやすい説明があったので、一部抜粋させていたただくとですね、
『現在の東京都の足立区にある荒川堤は、19世紀後半から桜の名所として名高かった。78品種もの桜が植えられ、薄紅 (くれない)色のほか、白、黄、緑、紫など、様々な色合いを楽しめることから「荒川の五色桜」と呼ばれていた。ところが、荒川堤の桜は第二次世界大戦や公害の被害により消滅してしまったが、ポトマック河畔の桜は咲き続けた。1952年、足立区が、五色桜復活を企図してポトマック河畔の桜の里帰りを米国に働きかけた。この取組により、ポトマック河畔の8種55本の桜の苗木がアメリカから贈呈され、荒川堤に植えられた。1981年には、さらに35種約3000本の桜が贈られた。その桜は荒川土手を始め区内の学校や公園などさまざまな場所に植えられ、現在も見事な花を咲かせ続けている。』
とありました。
いやはやなんとも興味深い話ですね。
そして、この話を知ると、前回取り上げたさくら坂【NO.591】の坂名の由来も、かなりの確率でこの荒川の五色桜に由来している可能性大かもですね。

写真2
最後は、鹿浜橋の袂(写真1でいえば左側の袂)の河川敷横の道が、坂道で土手とともに五色桜大橋とスカイツリーもよく見えたのでぱちりと。(写真2)
現地では無邪気に撮ってみましたが、荒川の五色桜の話を知ってからは、おそらくこの土手沿いに五色桜がずらりと並んでいたのかもしれないなあと、思いをはせてみるなど。
あと気になったので、今昔マップで掲載されている一番古い明治42年の地図をみてみると、隅田川は今と同じ位置にあるんですけど、荒川はなかったんですね。
そういう意味では、一時期、荒川の五色桜をぞんざいに扱ってしまったのも、そういう歴史的経緯もあったのかなあなんて妄想してみたんですけど、どうなんでしょうかね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都足立区鹿浜
関連リンク:
→ さくら坂【NO.591】/足立区新田 - 東京坂道さんぽ
→ ふじみ坂【NO.590】/足立区新田 - 東京坂道さんぽ
→ アメリカと日本を結ぶ桜 _ April 2021 _ Highlighting Japan
→ あだち五色桜の散歩みち|足立区

写真1
鹿浜橋からの荒川下流方向の眺めです。(写真1)
鹿浜橋は、前回取り上げたさくら坂【NO.591】の坂上からも見えていて、荒川の上流方向に700mほどのところにあったので立ち寄ってみました。
やはり大きい川ですね。
前回取り上げたさくら坂【NO.591】とふじみ坂【NO.590】が敷地内にあるハートアイランド新田は写真1右側の鉄塔奥に見えていました。
遠くには、アーチが特徴的な五色桜大橋と東京スカイツリーの先っぽも見えていましたね。
ちなみに、地図を見て気が付いたんですが、写真1の背後、要は荒川の上流方向に2kmもいかないところに隅田川のはじまりの場所があったんですね。
そしてですね、前に取り上げたふじみ坂【NO.590】の坂上そばでしたかね、そこには「荒川の五色桜」という観光案内板があって、そこには、『明治30年頃から昭和初期にかけて、荒川堤は日本有数の桜の名所として人々に親しまれていました。1886年(明治19年)、江北地域の堤防に、八重桜を中心に70種類以上の桜が植えられたのが始まりといわれています。盛時には、そのさまざまな彩りから「荒川の五色桜」と呼ばれていました。その後、公害や堤防工事、戦争により衰退してしまいました。この「荒川の五色桜」をここ新田地区でも再現し、華やかな景観を取り戻すために、かって植えられていた桜の中から多くの種類の桜を選び、植栽しています。』
と書かれてありました。
歩いたときは、ふむむ?という感じだったんですけど、写真1からも見えていた五色桜大橋の名前の由来も、この付近の荒川堤一帯がかつて五色の桜が咲く名所だったことから付けられたとあり、調べてみるとなかなか興味深い土地の記憶がわかりましたね。
このあたりは、荒川堤と呼ばれていて、「荒川の五色桜」の説明にもあったとおり、日本有数の桜の名所だったそうですが、昭和20年代に姿を消してしまったそうです。

画像
こちらは、内閣府のHP「アメリカと日本を結ぶ桜」にあった画像で、1920年(大正9年)頃の荒川の五色桜を描いた絵葉書もあったので引用させてもらいました。
デフォルメされているのか、当時もこの色だったのかわかりませんけど、たしかに五色の桜ですね。
左側はよくアメリカでの桜のニュースでも流れる場所ですね。
どうやら、ポトマック河畔に植樹された桜はここの五色桜だったようですね。
内閣府のHPに植樹以後のわかりやすい説明があったので、一部抜粋させていたただくとですね、
『現在の東京都の足立区にある荒川堤は、19世紀後半から桜の名所として名高かった。78品種もの桜が植えられ、薄紅 (くれない)色のほか、白、黄、緑、紫など、様々な色合いを楽しめることから「荒川の五色桜」と呼ばれていた。ところが、荒川堤の桜は第二次世界大戦や公害の被害により消滅してしまったが、ポトマック河畔の桜は咲き続けた。1952年、足立区が、五色桜復活を企図してポトマック河畔の桜の里帰りを米国に働きかけた。この取組により、ポトマック河畔の8種55本の桜の苗木がアメリカから贈呈され、荒川堤に植えられた。1981年には、さらに35種約3000本の桜が贈られた。その桜は荒川土手を始め区内の学校や公園などさまざまな場所に植えられ、現在も見事な花を咲かせ続けている。』
とありました。
いやはやなんとも興味深い話ですね。
そして、この話を知ると、前回取り上げたさくら坂【NO.591】の坂名の由来も、かなりの確率でこの荒川の五色桜に由来している可能性大かもですね。

写真2
最後は、鹿浜橋の袂(写真1でいえば左側の袂)の河川敷横の道が、坂道で土手とともに五色桜大橋とスカイツリーもよく見えたのでぱちりと。(写真2)
現地では無邪気に撮ってみましたが、荒川の五色桜の話を知ってからは、おそらくこの土手沿いに五色桜がずらりと並んでいたのかもしれないなあと、思いをはせてみるなど。
あと気になったので、今昔マップで掲載されている一番古い明治42年の地図をみてみると、隅田川は今と同じ位置にあるんですけど、荒川はなかったんですね。
そういう意味では、一時期、荒川の五色桜をぞんざいに扱ってしまったのも、そういう歴史的経緯もあったのかなあなんて妄想してみたんですけど、どうなんでしょうかね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都足立区鹿浜
関連リンク:
→ さくら坂【NO.591】/足立区新田 - 東京坂道さんぽ
→ ふじみ坂【NO.590】/足立区新田 - 東京坂道さんぽ
→ アメリカと日本を結ぶ桜 _ April 2021 _ Highlighting Japan
→ あだち五色桜の散歩みち|足立区