NO. 589
坂名:浅間神社石坂
住所: 東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎
今回は、多摩郡瑞穂町の浅間神社石坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、JR八高線・箱根ヶ崎駅から北東に1kmほどのところにある箱根ヶ崎浅間神社に上る階段です。
前に取り上げた富士山階段【NO.588】とは坂上でつながっていました。
写真1
まずは坂下あたりの様子です。(写真1)
写真1右側が今回の坂道ですが、左側にも階段があり、その上には八雲神社の社殿がありました。
創建年代等は不明ですが、寛政11年(1799)に当地へ遷座とあり、管理もしっかりされていたので、歴史のある神社のようでしたね。
写真2
写真1でも見えていた坂下あたりにあった石碑です。(写真2)
こちらには「浅間神社石坂記念碑」と書かれてありました。
ここには坂名の由来が書かれているような案内板はなかったのですが、石碑の記載が”浅間神社石段”ではなく、わざわざ”石坂”と書いていることからも、この坂道の名前もそう呼ぶことにしてナンバリングしてみました。
写真3
すこし上ると、鳥居がありました。(写真3)
横の石碑には「浅間神社鳥居建設碑」とわかりやすく書かれていたことから、ここからが坂上にある箱根ヶ崎浅間神社の参道ということになるようでしたね。
写真4
さらに上り、坂下方向を見てみました。(写真4)
坂下方向に鳥居が見えているとおり、かなり登ってきましたね。
写真5
写真4の背後をみると、階段上に箱根ヶ崎浅間神社の社殿がちらりと。(写真5)
写真6
やっとこ、坂上まできて、坂下方向を見てみました。(写真6)
ここは南西に方向に下っている階段だったので、高低差具合からもまわりの樹木がなければどこかに富士山が見えそうな感じでしたね。
写真7
写真6の背後をみると、遠くに箱根ヶ崎浅間神社の社殿が見えていました。(写真7)
社殿のアップは富士山階段【NO.588】の記事のほうにあげていますので、気になる方はそちらをどうぞ。
なので、富士山階段【NO.588】はこの奥左側にあるという立地具合でしたね。
ちなみに、箱根ヶ崎浅間神社の創建年代は不明なのですが、瑞穂町の公式HPに、この神社のことが触れられていました。
一部抜粋させていただくとですね、
『現箱根ケ崎浅間谷の奥にある浅間神社は、もとは富士山村の鎮守であったとされ、当初社殿は富士山側の北を向いていたといわれています。社殿のある位置は富士山村と箱根ケ崎村の境界上に位置していたため、18世紀初めに富士山村と箱根ケ崎村で帰属争いが起きました。幕府に裁定を依頼した結果、箱根ケ崎村に帰属するものとされ、それ以来社殿の向きが南の箱根ケ崎方面に変えられたとされています。参道から社殿を結んだ延長線上には、富士山が望めるといわれています。』
とありました。
「当初社殿は富士山側の北を向いていたといわれています」とありますが、ここで取り上げている富士山は、富士山階段【NO.588】の記事でもでてきた、このあたりの地名の富士山(ふじやま)のことですね。
なので、18世紀初めまでは、写真7でいえば、左側方向に社殿が向いていたようですね。
そして、その後の帰属から、今と同じ南の箱根ケ崎方面に変わったということみたいです。
また説明には「参道から社殿を結んだ延長線上には、富士山が望めるといわれています。」ともあり、これは上記で予想したとおりのようですね。
昔は今よりずっと樹木も背が低かったでしょうから、富士山もここから見えたんでしょうね。
あとは富士山階段【NO.588】の坂名由来で「古老に聞くと参道には、男坂と女坂があり、男坂には石の階段があったそうです。」という記述があったと思いますが、上記の神社の説明で神社の向きが変わったという歴史もあることから、今回の坂道が石坂と呼んでいることからもかつての女坂で、富士山階段【NO.588】あたりにかつての男坂があったのではと、予想してみたのですがどうでしょうかね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎
関連リンク:
→ 富士山階段【NO.588】/西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎 - 東京坂道さんぽ
→ 富士山歩道橋と瑞穂バイパス(国道16号)からの富士山【とある街の風景415】/西多摩郡瑞穂町駒形富士山 - 東京坂道さんぽ
→ 地名に残る瑞穂の歴史 _ 瑞穂町ホームページ
坂名:浅間神社石坂
住所: 東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎
今回は、多摩郡瑞穂町の浅間神社石坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、JR八高線・箱根ヶ崎駅から北東に1kmほどのところにある箱根ヶ崎浅間神社に上る階段です。
前に取り上げた富士山階段【NO.588】とは坂上でつながっていました。
写真1
まずは坂下あたりの様子です。(写真1)
写真1右側が今回の坂道ですが、左側にも階段があり、その上には八雲神社の社殿がありました。
創建年代等は不明ですが、寛政11年(1799)に当地へ遷座とあり、管理もしっかりされていたので、歴史のある神社のようでしたね。
写真2
写真1でも見えていた坂下あたりにあった石碑です。(写真2)
こちらには「浅間神社石坂記念碑」と書かれてありました。
ここには坂名の由来が書かれているような案内板はなかったのですが、石碑の記載が”浅間神社石段”ではなく、わざわざ”石坂”と書いていることからも、この坂道の名前もそう呼ぶことにしてナンバリングしてみました。
写真3
すこし上ると、鳥居がありました。(写真3)
横の石碑には「浅間神社鳥居建設碑」とわかりやすく書かれていたことから、ここからが坂上にある箱根ヶ崎浅間神社の参道ということになるようでしたね。
写真4
さらに上り、坂下方向を見てみました。(写真4)
坂下方向に鳥居が見えているとおり、かなり登ってきましたね。
写真5
写真4の背後をみると、階段上に箱根ヶ崎浅間神社の社殿がちらりと。(写真5)
写真6
やっとこ、坂上まできて、坂下方向を見てみました。(写真6)
ここは南西に方向に下っている階段だったので、高低差具合からもまわりの樹木がなければどこかに富士山が見えそうな感じでしたね。
写真7
写真6の背後をみると、遠くに箱根ヶ崎浅間神社の社殿が見えていました。(写真7)
社殿のアップは富士山階段【NO.588】の記事のほうにあげていますので、気になる方はそちらをどうぞ。
なので、富士山階段【NO.588】はこの奥左側にあるという立地具合でしたね。
ちなみに、箱根ヶ崎浅間神社の創建年代は不明なのですが、瑞穂町の公式HPに、この神社のことが触れられていました。
一部抜粋させていただくとですね、
『現箱根ケ崎浅間谷の奥にある浅間神社は、もとは富士山村の鎮守であったとされ、当初社殿は富士山側の北を向いていたといわれています。社殿のある位置は富士山村と箱根ケ崎村の境界上に位置していたため、18世紀初めに富士山村と箱根ケ崎村で帰属争いが起きました。幕府に裁定を依頼した結果、箱根ケ崎村に帰属するものとされ、それ以来社殿の向きが南の箱根ケ崎方面に変えられたとされています。参道から社殿を結んだ延長線上には、富士山が望めるといわれています。』
とありました。
「当初社殿は富士山側の北を向いていたといわれています」とありますが、ここで取り上げている富士山は、富士山階段【NO.588】の記事でもでてきた、このあたりの地名の富士山(ふじやま)のことですね。
なので、18世紀初めまでは、写真7でいえば、左側方向に社殿が向いていたようですね。
そして、その後の帰属から、今と同じ南の箱根ケ崎方面に変わったということみたいです。
また説明には「参道から社殿を結んだ延長線上には、富士山が望めるといわれています。」ともあり、これは上記で予想したとおりのようですね。
昔は今よりずっと樹木も背が低かったでしょうから、富士山もここから見えたんでしょうね。
あとは富士山階段【NO.588】の坂名由来で「古老に聞くと参道には、男坂と女坂があり、男坂には石の階段があったそうです。」という記述があったと思いますが、上記の神社の説明で神社の向きが変わったという歴史もあることから、今回の坂道が石坂と呼んでいることからもかつての女坂で、富士山階段【NO.588】あたりにかつての男坂があったのではと、予想してみたのですがどうでしょうかね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎
関連リンク:
→ 富士山階段【NO.588】/西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎 - 東京坂道さんぽ
→ 富士山歩道橋と瑞穂バイパス(国道16号)からの富士山【とある街の風景415】/西多摩郡瑞穂町駒形富士山 - 東京坂道さんぽ
→ 地名に残る瑞穂の歴史 _ 瑞穂町ホームページ