NO. 588
坂名:富士山(ふじやま)階段
住所: 東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎
今回は、西多摩郡瑞穂町の富士山階段について取り上げてみたいと思います。
場所は、JR八高線・箱根ヶ崎駅から北東に1kmほどのところにある箱根ヶ崎浅間神社に上る階段です。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
見るからに高低差のすごそうな階段でしたね。
森の中といった感じですが、このあたりは狭山丘陵の一部ということのようで、ちょっとした小山のようになっていました。
ただ写真1背後には東京環状が走っているので、急に森のようになるコントラスト具合というか立地具合も興味深かったですね。
ちなみに写真1でもすこし見えていますけど、ここには坂名の由来が書かれている案内板がありました。
いつものように抜粋させていただくとですね、
『富士山階段のあるこの地は、かつての富士山村の南端に位置しています。古い江戸時代の地図によると、所沢街道沿いから南側の地を富士山と呼んでいたようです。この階段の位置は、おおよそ昔の浅間神社への参道にあたり、浅間神社と旧八雲神社に至りました。浅間神社は、宝永五年(一七•八)の富士山と箱根ケ崎との帰属争いで、裁判の結果、箱根ヶ崎村のものとなりましたが、八雲神社は、大正七年に元狭山神社に合祀されるまで、山頂手前左手(今でも平地の跡あり)にあり、富士山村の鎮守でした。古老に聞くと参道には、男坂と女坂があり、男坂には石の階段があったそうです。山頂には箱根ヶ崎との境界の道(稜線)があり、古図には「富士山通』と記載され、昭和三十年代まで歩くことが出来ました。
この通りの名に因んで、この二百三十七段の木造階段を「富士山階段』と命名しました。この階段入り口から所沢街道にまっすぐ北に向かう細い道があり、この道は浅間大門と呼ばれていた浅間神社への旧参道です。参道の入り口には今でも『東大門』と『西大門』という屋号の家が残っています。このように歴史ある参道に位置するこの階段を活用し、狭山丘陵の四季折々の自然を満喫してみてください。』
とありました。
富士山階段の富士山は”ふじやま”と呼ぶようで、ここから富士山が見えたからというよりは、かつての富士山通に由来するようですね。
また237段の階段とあるので、相当な高低差ですね。
237段✖️20cmとすれば、47.4m。
ビルで言えば13階か14階くらいですね。

写真2
中腹あたりまできて、坂下方向を見てみました。(写真2)
まわりはあいかわらずの雑木林で、階段自体は説明にもあったとおり、雑木林の自然の斜面に人工的に作られた木造階段でしたね。

写真3
さらに上ると、階段の蹴上の部分に「146」という数字が書かれていましたよ。(写真3)
これはどうやらここまでの段数のようでしたね。
階段はまだまだ続きます。

写真4
やっとこ、階段上までやってきました。(写真4)
ここにも段数が書かれてありました。
237段ということで、案内板に書いてあったとおりですね。
あと奥に見えているのが、箱根ヶ崎浅間神社の社殿ですね。

写真5
坂下方向を見てみました。(写真5)
坂下からの高低差は47.4mなので、眺望もいいはずですが、このときは雑木林の樹木が高くそびえたち遠くのほうは見えませんでしたね。

写真6
せっかくなので、坂上にあった箱根ヶ崎浅間神社の社殿なども。(写真6)
(由来説明で書かれていた浅間神社とここが同じ神社なのかは、地図を見ただけではちとわからなかったですが、たぶん同じだと思います。)
今回の階段は写真6左側にあるという立地具合でした。
あと由来説明で「山頂には箱根ヶ崎との境界の道(稜線)があり、古図には「富士山通』と記載され、昭和三十年代まで歩くことが出来ました。」とあったので、今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い大正12年の地図にはそれらしき道があり、その後の地図にも記載が続き、昭和27年の地図までは記載があったのに、昭和41年の地図には記載がなくなっていたので、まさに由来説明どおりの道がこのあたりにあったようですね。
なお男坂と女坂については、次回以降検証してみたいと思います。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎
関連リンク:
→ 狭山丘陵 _ 瑞穂町ホームページ
坂名:富士山(ふじやま)階段
住所: 東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎
今回は、西多摩郡瑞穂町の富士山階段について取り上げてみたいと思います。
場所は、JR八高線・箱根ヶ崎駅から北東に1kmほどのところにある箱根ヶ崎浅間神社に上る階段です。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
見るからに高低差のすごそうな階段でしたね。
森の中といった感じですが、このあたりは狭山丘陵の一部ということのようで、ちょっとした小山のようになっていました。
ただ写真1背後には東京環状が走っているので、急に森のようになるコントラスト具合というか立地具合も興味深かったですね。
ちなみに写真1でもすこし見えていますけど、ここには坂名の由来が書かれている案内板がありました。
いつものように抜粋させていただくとですね、
『富士山階段のあるこの地は、かつての富士山村の南端に位置しています。古い江戸時代の地図によると、所沢街道沿いから南側の地を富士山と呼んでいたようです。この階段の位置は、おおよそ昔の浅間神社への参道にあたり、浅間神社と旧八雲神社に至りました。浅間神社は、宝永五年(一七•八)の富士山と箱根ケ崎との帰属争いで、裁判の結果、箱根ヶ崎村のものとなりましたが、八雲神社は、大正七年に元狭山神社に合祀されるまで、山頂手前左手(今でも平地の跡あり)にあり、富士山村の鎮守でした。古老に聞くと参道には、男坂と女坂があり、男坂には石の階段があったそうです。山頂には箱根ヶ崎との境界の道(稜線)があり、古図には「富士山通』と記載され、昭和三十年代まで歩くことが出来ました。
この通りの名に因んで、この二百三十七段の木造階段を「富士山階段』と命名しました。この階段入り口から所沢街道にまっすぐ北に向かう細い道があり、この道は浅間大門と呼ばれていた浅間神社への旧参道です。参道の入り口には今でも『東大門』と『西大門』という屋号の家が残っています。このように歴史ある参道に位置するこの階段を活用し、狭山丘陵の四季折々の自然を満喫してみてください。』
とありました。
富士山階段の富士山は”ふじやま”と呼ぶようで、ここから富士山が見えたからというよりは、かつての富士山通に由来するようですね。
また237段の階段とあるので、相当な高低差ですね。
237段✖️20cmとすれば、47.4m。
ビルで言えば13階か14階くらいですね。

写真2
中腹あたりまできて、坂下方向を見てみました。(写真2)
まわりはあいかわらずの雑木林で、階段自体は説明にもあったとおり、雑木林の自然の斜面に人工的に作られた木造階段でしたね。

写真3
さらに上ると、階段の蹴上の部分に「146」という数字が書かれていましたよ。(写真3)
これはどうやらここまでの段数のようでしたね。
階段はまだまだ続きます。

写真4
やっとこ、階段上までやってきました。(写真4)
ここにも段数が書かれてありました。
237段ということで、案内板に書いてあったとおりですね。
あと奥に見えているのが、箱根ヶ崎浅間神社の社殿ですね。

写真5
坂下方向を見てみました。(写真5)
坂下からの高低差は47.4mなので、眺望もいいはずですが、このときは雑木林の樹木が高くそびえたち遠くのほうは見えませんでしたね。

写真6
せっかくなので、坂上にあった箱根ヶ崎浅間神社の社殿なども。(写真6)
(由来説明で書かれていた浅間神社とここが同じ神社なのかは、地図を見ただけではちとわからなかったですが、たぶん同じだと思います。)
今回の階段は写真6左側にあるという立地具合でした。
あと由来説明で「山頂には箱根ヶ崎との境界の道(稜線)があり、古図には「富士山通』と記載され、昭和三十年代まで歩くことが出来ました。」とあったので、今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い大正12年の地図にはそれらしき道があり、その後の地図にも記載が続き、昭和27年の地図までは記載があったのに、昭和41年の地図には記載がなくなっていたので、まさに由来説明どおりの道がこのあたりにあったようですね。
なお男坂と女坂については、次回以降検証してみたいと思います。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎
関連リンク:
→ 狭山丘陵 _ 瑞穂町ホームページ