NO. 581
坂名:富士見坂
住所: 東京都府中市武蔵台+国分寺市西元町
今回は、府中市と国分寺市の市境あたりにあったであろう富士見坂について取り上げてみたいと思います。
タイトルのとおり、今は存在しない坂道なので、だいたいの場所ですけど、JR・西国分寺駅の南西エリアにある都立多摩総合医療センターとその南側に隣接している府中市立武蔵台公園あたりにあったといわれています。
最近取り上げた白明坂【NO.580】からなら、西へ公園経由で徒歩11分ほどのところですね。

写真1
これだけだとどこかわからないですけど、こちらは府中市立武蔵台公園内の道です。(写真1)
武蔵台公園は東西に長い公園なのですが、ここはちょうど真ん中あたりですかね。
写真1はわかりにくいですけど、坂道になっていて、このあたりはまさに森といってもいい場所だったのでまさに登山道といった感じでしたね。
ではなぜここなのかというと、いつもお世話になっている書籍「江戸東京坂道事典」にですね、今の地図なら、国分寺市の西元町から府中市の武蔵台に上る道筋に富士見塚という古墳の丘に上る坂道があるということが書かれていたんですよ。
しかも、その坂道は江戸名所図会によれば富士見坂とのこと。
そして、富士見塚は、国分寺の西方の尼寺の境内にあったものと伝えられ、いまその跡には病院が建っている、とも書かれてありました。
これらを参考にGoogleマップを見てみるとですね、ちょうど書籍での記載にあてはまるあたりに「せんげん塚 せんげん山 富士見塚」というピンが立っていました。
地図でいうと、府中市立武蔵台小学校の北西側の武蔵台公園内ですかね。
なおこの富士見塚については、古墳マニアのサイト「古墳なう」で取り上げられていて、記事を読んだ感じでは、武蔵台公園の北側に隣接している都立多摩総合医療センターの敷地内からその姿を見られるみたいですね。
なので、富士見坂ということと、府中市の武蔵台から国分寺市の西元町(このあたりの市境はややこしい形をしていましたけど)へと下る坂道(要は南西側に下る)ということで、現地を歩いたときは写真1の坂道が当時の雰囲気に一番近いかなということで撮ってみたわけですね。
ちなみに、今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治39年の地図に、今のGoogleマップに「せんげん塚 せんげん山 富士見塚」というピンが立っているあたりに神社の記号が記されていました。
浅間神社とかそういう系なのかもしれないですし、もしかしたら富士見塚のことかもしれないですが、実際のところは不明ですね。

写真2
ここからは富士見坂の話とはすこしそれますが、武蔵台公園と隣接する国分寺市の公園(歴史公園です。歩いた感じでは武蔵台公園と同じ公園のようなつくりでしたけど)内には、上記の書籍の説明「富士見塚は、国分寺の西方の尼寺の境内にあったものと伝えられ、いまその跡には病院が建っている」にもでてきた、国分寺の西方の尼寺の史跡も残されていましたね。(写真2)
写真2は、武蔵国分尼寺跡の様子です。
この高低差に惹かれて撮ってみたとも言えますけど。(^^)
武蔵国分尼寺跡については、国分寺市のHPに記載があったので、一部抜粋させていただくとですね、
『 西元町四丁目のJR武蔵野線西側に武蔵国分尼寺跡が広がっており、国指定史跡武蔵国分寺跡に一括して指定されています。史跡指定地は、公有地化と整備事業を終え、国分寺市最初の市立歴史公園として平成15年4月に開園しました。 確認調査の成果に基づき、尼寺伽藍の中枢部を構成する中門・金堂・尼坊など主要建物や区画施設である掘立柱塀を、埋没保存されているその位置で建物平面などを復元的に表示しています。尼坊は柱位置が判明しましたので、新たに石を配置してあります。』
とありました。

写真3
近くには案内板もありました。(写真3)
写真2の階段上のかつての様子もイラストで示してくれていましたね。
ちなみに尼寺以前に武蔵国分寺とはなんぞという方もいるとは思いますので調べてみると、こちらも国分寺市のHPに記載がありました。
『天平13年(741)、聖武天皇は鎮護国家を祈念して、諸国に国分寺〔僧寺(金光明四天王護国之寺)と尼寺(法華滅罪之寺) 〕を建立するように命じました。武蔵国では国府(現府中市)に近く、都へ通じる東山道武蔵路沿いの広大な平地と東西に連なる国分寺崖線の麓、豊かな湧水をもつ現在の西元町一帯が好所として選ばれました。国府とともに政治・文化の中心として栄えましたが、鎌倉時代末に「分倍河原の戦い」で焼失しました。武蔵国分寺跡と関連する遺跡は、東西1.5キロメートル、南北1キロメートルにおよび、諸国の国分寺跡と比べ規模が大きく、歴史的にも重要なことから大正11年に国史跡に指定されました。』
なるほど。
ということで、富士見坂とはすこし外れる話もしましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都府中市武蔵台+国分寺市西元町
関連リンク:
坂名:富士見坂
住所: 東京都府中市武蔵台+国分寺市西元町
今回は、府中市と国分寺市の市境あたりにあったであろう富士見坂について取り上げてみたいと思います。
タイトルのとおり、今は存在しない坂道なので、だいたいの場所ですけど、JR・西国分寺駅の南西エリアにある都立多摩総合医療センターとその南側に隣接している府中市立武蔵台公園あたりにあったといわれています。
最近取り上げた白明坂【NO.580】からなら、西へ公園経由で徒歩11分ほどのところですね。

写真1
これだけだとどこかわからないですけど、こちらは府中市立武蔵台公園内の道です。(写真1)
武蔵台公園は東西に長い公園なのですが、ここはちょうど真ん中あたりですかね。
写真1はわかりにくいですけど、坂道になっていて、このあたりはまさに森といってもいい場所だったのでまさに登山道といった感じでしたね。
ではなぜここなのかというと、いつもお世話になっている書籍「江戸東京坂道事典」にですね、今の地図なら、国分寺市の西元町から府中市の武蔵台に上る道筋に富士見塚という古墳の丘に上る坂道があるということが書かれていたんですよ。
しかも、その坂道は江戸名所図会によれば富士見坂とのこと。
そして、富士見塚は、国分寺の西方の尼寺の境内にあったものと伝えられ、いまその跡には病院が建っている、とも書かれてありました。
これらを参考にGoogleマップを見てみるとですね、ちょうど書籍での記載にあてはまるあたりに「せんげん塚 せんげん山 富士見塚」というピンが立っていました。
地図でいうと、府中市立武蔵台小学校の北西側の武蔵台公園内ですかね。
なおこの富士見塚については、古墳マニアのサイト「古墳なう」で取り上げられていて、記事を読んだ感じでは、武蔵台公園の北側に隣接している都立多摩総合医療センターの敷地内からその姿を見られるみたいですね。
なので、富士見坂ということと、府中市の武蔵台から国分寺市の西元町(このあたりの市境はややこしい形をしていましたけど)へと下る坂道(要は南西側に下る)ということで、現地を歩いたときは写真1の坂道が当時の雰囲気に一番近いかなということで撮ってみたわけですね。
ちなみに、今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治39年の地図に、今のGoogleマップに「せんげん塚 せんげん山 富士見塚」というピンが立っているあたりに神社の記号が記されていました。
浅間神社とかそういう系なのかもしれないですし、もしかしたら富士見塚のことかもしれないですが、実際のところは不明ですね。

写真2
ここからは富士見坂の話とはすこしそれますが、武蔵台公園と隣接する国分寺市の公園(歴史公園です。歩いた感じでは武蔵台公園と同じ公園のようなつくりでしたけど)内には、上記の書籍の説明「富士見塚は、国分寺の西方の尼寺の境内にあったものと伝えられ、いまその跡には病院が建っている」にもでてきた、国分寺の西方の尼寺の史跡も残されていましたね。(写真2)
写真2は、武蔵国分尼寺跡の様子です。
この高低差に惹かれて撮ってみたとも言えますけど。(^^)
武蔵国分尼寺跡については、国分寺市のHPに記載があったので、一部抜粋させていただくとですね、
『 西元町四丁目のJR武蔵野線西側に武蔵国分尼寺跡が広がっており、国指定史跡武蔵国分寺跡に一括して指定されています。史跡指定地は、公有地化と整備事業を終え、国分寺市最初の市立歴史公園として平成15年4月に開園しました。 確認調査の成果に基づき、尼寺伽藍の中枢部を構成する中門・金堂・尼坊など主要建物や区画施設である掘立柱塀を、埋没保存されているその位置で建物平面などを復元的に表示しています。尼坊は柱位置が判明しましたので、新たに石を配置してあります。』
とありました。

写真3
近くには案内板もありました。(写真3)
写真2の階段上のかつての様子もイラストで示してくれていましたね。
ちなみに尼寺以前に武蔵国分寺とはなんぞという方もいるとは思いますので調べてみると、こちらも国分寺市のHPに記載がありました。
『天平13年(741)、聖武天皇は鎮護国家を祈念して、諸国に国分寺〔僧寺(金光明四天王護国之寺)と尼寺(法華滅罪之寺) 〕を建立するように命じました。武蔵国では国府(現府中市)に近く、都へ通じる東山道武蔵路沿いの広大な平地と東西に連なる国分寺崖線の麓、豊かな湧水をもつ現在の西元町一帯が好所として選ばれました。国府とともに政治・文化の中心として栄えましたが、鎌倉時代末に「分倍河原の戦い」で焼失しました。武蔵国分寺跡と関連する遺跡は、東西1.5キロメートル、南北1キロメートルにおよび、諸国の国分寺跡と比べ規模が大きく、歴史的にも重要なことから大正11年に国史跡に指定されました。』
なるほど。
ということで、富士見坂とはすこし外れる話もしましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都府中市武蔵台+国分寺市西元町
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