今回は、渋谷の道玄坂【NO.191】を最近、ぶらりと歩いて、隣接する再開発ビルの状況も見てきたので、そのときのことなど。

道玄坂【NO.191】その3-1
写真1

中腹あたりから坂下方向を見たものです。(写真1)
2ヶ月ほどまえにここを訪れたときに書いた記事(記事名:道玄坂で再開発【とある街の風景406】)でも取り上げた道玄坂二丁目南地区第一種市街地再開発事業なる、三菱地所による大型再開発がちょうど写真1の右側で行われているあたりですね。

この写真はつい数日前のものですけど、現在のところはまだ空地で土地の整地をしているようでしたね。

道玄坂【NO.191】その3-2
画像1

シリーズ第三弾ということにしているので、すこしばかり道玄坂【NO.191】の過去のことも振り返ってみることにします。(画像1)
画像1は、三井住友トラスト不動産のHPにて紹介されていた93年前(1931年)のこの坂道の写真(元画像は日本地理風俗大系:第二巻に掲載されていたもの)を拝借させていただきました。
どうやら、ちょうど写真1のアングルや場所とかぶっているようでしたね。
1931年といえば、昭和6年なので、このあとの昭和25年に戦争の空襲で焼けてしまうので、戦前の貴重な写真ですね。
そういう意味では、今の道玄坂【NO.191】は空襲で焼けたとき以来の大変化の時期にきているのかなあと、思ったりもしましたね。

道玄坂【NO.191】その3-3
写真2

すこし下り、坂上方向を見てみたものです。(写真2)
写真2右側にしぶや百軒店の入口があるあたりですね。

この場所からみると、再開発事業地と坂道の関係もわかりやすかったですね。

道玄坂【NO.191】その3-4
写真3

写真2の左側も見てみました。(写真3)
奥のビルは渋谷マークシティですね。
もし建てる時にこの見えぐあいだったら、もっとファサードを工夫したんでしょうけど、建てたときはこのアングルからはビルの外観はほぼ見えない前提だったはずなので、のっぺり感がすごいですね。
というか渋谷の地で、これだけ面積の広いビルの外観に看板がないのは今だけのレアケースかもですね。

道玄坂【NO.191】その3-5
写真4

最後は、道玄坂【NO.191】の坂下ともいえる、スクランブル交差点から道玄坂【NO.191】を見てみました。(写真4)
やはり各国からの外国人がかなり多かったですね。
月並みな言い方ですけど。
あとこの日は道玄坂【NO.191】沿いの109にドジャースの大谷選手のポスターがあるというなかなかのレアケースでもありましたよ。

ということで、今回はこんな感じです。

地図
東京都渋谷区道玄坂

関連リンク:  
→    道玄坂で再開発【とある街の風景406】 /渋谷区道玄坂 - 東京坂道さんぽ
→    道玄坂【NO.191】/渋谷区道玄坂 - 東京坂道さんぽ