NO. 576
坂名:天祖神社階段
住所: 東京都大田区山王
今回は、大田区の天祖神社階段について取り上げてみたいと思います。
場所はJR京浜東北線・大森駅西口の目の前にある階段です。
なので前回取り上げた八景坂【NO.575】とも隣接しているともいえますね。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
この背後の道が八景坂【NO.575】で、その奥に・大森駅西口があるという立地具合でした。
階段下には「馬込文士村散策のみち」と書かれたレリーフもあり、「今では閑静な住宅地となっている山王・馬込(JR大森駅から西側の地域)の地に、大正末期から昭和初期に多くの文士や芸術家が移り住み、いつかしか「馬込文士村」と呼ばれるようになりました。」というような具合にこの階段上に広がる地域がかつて馬込文士村と呼ばれていたというようなことが書かれていましたね。
馬込文士村については、このブログでも馬込地域にあるいくつかの坂道を取り上げたときにもさらりと取り上げましたけど、詳しいことは大田区のHPなどを参照してみてください。

写真2
写真1の階段を上ると踊り場のようになっていました。(写真2)
写真2左側には馬込文士村の文士レリーフが設置されていました。
また写真2左側奥あたりには崖上にある天祖神社社殿に向かうための急階段もありましたが、それについてはまた後日とりあげますので、あしからず。

写真3
写真2の右側を見ると、大森駅西口の駅前も見えました。(写真3)
手前の道が前回取り上げた八景坂【NO.575】ですね。
八景坂【NO.575】の記事最後で取り上げた大田区の景観計画検討案によれば、このあたりも将来的にはだいぶ景色が整備されるのかもしれないですね。

写真4
写真2の左側をみると、急階段になっていました。(写真4)
階段右側には、これまでと同じく馬込文士村関連のレリーフが等間隔で設置されていて、階段上までありましたね。
ちなみにここには、坂名の由来などが書かれた坂の碑はありませんでしたが、前回取り上げた八景坂【NO.575】の記事最後で取り上げた大田区の景観計画検討案のポンチ絵に、「天祖神社階段」の坂名と坂道の位置の記載があり、景観資源として追加予定であることが記載されていたので、今回はこの資料を参考にして、ナンバリングすることにしてみました。
天祖神社の境内であれば男坂とかついていたでしょうけど、今回の坂道は境内ではなく神社脇の階段ですし、神社に隣接する坂道に神社由来の坂名をつけることは各地にあるので、今回はそのパタンとしてみてみました。

写真5
最後は階段上からの様子です。(写真5)
ここからもちらりと見えていますけど、階段下との高低差がすごかったですね。
あと、このすぐそばに庚申塔 青面金剛尊もありましたね。
なおこの階段を通るときはレリーフのほうに意識が行きがちで気になるかたもいるとは思いますが、レリーフの中身自体は天祖神社ともこの階段とも関係ないことばかり書かれていたので、今回は各レリーフの内容についてはふれないことにしますよ。
とはいえ、この階段がある種、馬込文士村の歴史を伝えている路上歴史館のようになっていることは確かなので、気になる方は現地で内容を確かめてみてくださいな。
また天祖神社については、また後日とりあげる予定です。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都大田区山王
関連リンク:
→ 八景坂【NO.575】/大田区山王 - 東京坂道さんぽ
→ (仮称)大森八景坂景観形成重点地区の追加指定等に伴う 大田区景観計画の変更(案)について
→ 大田区ホームページ:馬込文士村
→ 庚申塔(こうしんとう)って何 _ 目黒区
坂名:天祖神社階段
住所: 東京都大田区山王
今回は、大田区の天祖神社階段について取り上げてみたいと思います。
場所はJR京浜東北線・大森駅西口の目の前にある階段です。
なので前回取り上げた八景坂【NO.575】とも隣接しているともいえますね。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
この背後の道が八景坂【NO.575】で、その奥に・大森駅西口があるという立地具合でした。
階段下には「馬込文士村散策のみち」と書かれたレリーフもあり、「今では閑静な住宅地となっている山王・馬込(JR大森駅から西側の地域)の地に、大正末期から昭和初期に多くの文士や芸術家が移り住み、いつかしか「馬込文士村」と呼ばれるようになりました。」というような具合にこの階段上に広がる地域がかつて馬込文士村と呼ばれていたというようなことが書かれていましたね。
馬込文士村については、このブログでも馬込地域にあるいくつかの坂道を取り上げたときにもさらりと取り上げましたけど、詳しいことは大田区のHPなどを参照してみてください。

写真2
写真1の階段を上ると踊り場のようになっていました。(写真2)
写真2左側には馬込文士村の文士レリーフが設置されていました。
また写真2左側奥あたりには崖上にある天祖神社社殿に向かうための急階段もありましたが、それについてはまた後日とりあげますので、あしからず。

写真3
写真2の右側を見ると、大森駅西口の駅前も見えました。(写真3)
手前の道が前回取り上げた八景坂【NO.575】ですね。
八景坂【NO.575】の記事最後で取り上げた大田区の景観計画検討案によれば、このあたりも将来的にはだいぶ景色が整備されるのかもしれないですね。

写真4
写真2の左側をみると、急階段になっていました。(写真4)
階段右側には、これまでと同じく馬込文士村関連のレリーフが等間隔で設置されていて、階段上までありましたね。
ちなみにここには、坂名の由来などが書かれた坂の碑はありませんでしたが、前回取り上げた八景坂【NO.575】の記事最後で取り上げた大田区の景観計画検討案のポンチ絵に、「天祖神社階段」の坂名と坂道の位置の記載があり、景観資源として追加予定であることが記載されていたので、今回はこの資料を参考にして、ナンバリングすることにしてみました。
天祖神社の境内であれば男坂とかついていたでしょうけど、今回の坂道は境内ではなく神社脇の階段ですし、神社に隣接する坂道に神社由来の坂名をつけることは各地にあるので、今回はそのパタンとしてみてみました。

写真5
最後は階段上からの様子です。(写真5)
ここからもちらりと見えていますけど、階段下との高低差がすごかったですね。
あと、このすぐそばに庚申塔 青面金剛尊もありましたね。
なおこの階段を通るときはレリーフのほうに意識が行きがちで気になるかたもいるとは思いますが、レリーフの中身自体は天祖神社ともこの階段とも関係ないことばかり書かれていたので、今回は各レリーフの内容についてはふれないことにしますよ。
とはいえ、この階段がある種、馬込文士村の歴史を伝えている路上歴史館のようになっていることは確かなので、気になる方は現地で内容を確かめてみてくださいな。
また天祖神社については、また後日とりあげる予定です。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都大田区山王
関連リンク:
→ 八景坂【NO.575】/大田区山王 - 東京坂道さんぽ
→ (仮称)大森八景坂景観形成重点地区の追加指定等に伴う 大田区景観計画の変更(案)について
→ 大田区ホームページ:馬込文士村
→ 庚申塔(こうしんとう)って何 _ 目黒区