NO. 575
坂名:八景坂、薬研坂、やけい坂
住所: 東京都大田区山王
今回は、大田区の八景(はっけい)坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、JR京浜東北線・大森駅のすぐ西側にあり、駅入口とも直結している駅前通りの坂道です。
前回取り上げた清浦さんの坂【NO.574】と坂上あたりで、闇坂【NO.573】とは坂下あたりで合流している坂道でもありますね。

写真1
まずは坂下あたりの様子です。(写真1)
長い直線の坂道で、全体的に写真1のような傾斜具合の坂道でした。
また中腹あたりに大森駅の西口が隣接しており、ここの道はまさに駅前通りといった感じで、商店街のように大小の商店や飲食店が立ち並んでいましたね。

写真2
中腹あたりから坂上方向を見てみました。(写真2)
写真2右側には大森駅の西口があり、駅前空間と一体にある坂道としては珍しい部類かもしれないですね。
また写真1左側には八景天祖神社や馬込文士村レリーフなどもあり、大森駅の駅舎とあわせて独特な雰囲気でしたね。
(八景天祖神社や馬込文士村レリーフなどについては次回取り上げます。ここは名所が多いので。)
ちなみにここには、写真2の左側に坂名の由来が記されている案内板があったので、いつものように抜粋させていただくとですね、
『今でこそゆるやかな坂道であるが、昔は相当な急坂で、あたかも薬草などを刻む薬研の溝のようだったところから、別名薬研坂と呼ばれた。この坂の上からは、かつて大森の海辺より遠く房総まで一望でき、この風景を愛した人たちにより、「笠島夜雨、鮫洲晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」という八景が選ばれ、八景坂というようになったといわれる。かつて坂上には、源義家が鎧をかけたと伝えられる松があり、広重らの浮世絵に描かれ、有名であった。』
とありました。
今も緩やかとはいえ、それなりの傾斜のある坂道ですけど、昔はもっと傾斜があったとはどんな坂道だったんでしょうね。
「「笠島夜雨、鮫洲晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」という八景」とあるのは、この坂道からかつて見えた笠島、鮫洲、大森、羽田、六郷、大井、袖浦、池上という地域が見えたということだと思います。

画像1(名所江戸百景「八景坂鎧掛松」)
浮世絵の話も由来説明にでてきたので、探してみるとありました。(画像1)
歌川広重による名所江戸百景「八景坂鎧掛松」(安政3年(1856)刊)ですね。
だいぶデフォルメされていそうな感じもしますが、海はよく見えたようですね。
そして、源義家が鎧をかけたと伝えられる松も描かれていますね。

写真3
現実に戻り、坂上あたりの様子です。(写真3)
大小の店が立ち並んでいる今の風景からは想像できないですけど、このあたりから海も見え、源義家が鎧をかけたと伝えられる松もこのあたりにあったんですかね。
そういえば、写真3左側は、この写真ではわからないですけど、けっこうな崖地のようになっていたんですよ。
上記の浮世絵をみながら思い出しましたよ。

画像2(「(仮称)大森八景坂景観形成重点地区の追加指定等に伴う大田区景観計画変更(案)について」より)
あとこちらは現在進行形の話なのですが、坂道まわりでもまちづくり計画がいろいろと動いているようで、区の資料としてあくまで案だけのようですが、坂道沿いの街並みや建築物のデザインコードを指定したり、駅前に広場をつくるなどの計画案が公開されていましたね。(画像2)
画像2はその計画案の一部ですね。
画像2でいえば、大森駅と書かれたすぐ左側の南北に長い道が今回の八景坂ですね。
とりあえず、今後いろいろと坂道風景的にも変化がありそうな感じなので、いろいろと細かいことが書かれていますが、まちづくり視点で坂道を見るいい機会かもと思い取り上げてみました。
とにかくいろんな意味で楽しみな計画でもありますね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都大田区山王
関連リンク:
→ 清浦さんの坂【NO.574】/大田区山王 - 東京坂道さんぽ
→ 闇坂【NO.573】/大田区山王 - 東京坂道さんぽ
→ 大田区ホームページ:八景坂
→ 大田区ホームページ:第16回大田区景観審議会(令和5年11月13日開催)
坂名:八景坂、薬研坂、やけい坂
住所: 東京都大田区山王
今回は、大田区の八景(はっけい)坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、JR京浜東北線・大森駅のすぐ西側にあり、駅入口とも直結している駅前通りの坂道です。
前回取り上げた清浦さんの坂【NO.574】と坂上あたりで、闇坂【NO.573】とは坂下あたりで合流している坂道でもありますね。

写真1
まずは坂下あたりの様子です。(写真1)
長い直線の坂道で、全体的に写真1のような傾斜具合の坂道でした。
また中腹あたりに大森駅の西口が隣接しており、ここの道はまさに駅前通りといった感じで、商店街のように大小の商店や飲食店が立ち並んでいましたね。

写真2
中腹あたりから坂上方向を見てみました。(写真2)
写真2右側には大森駅の西口があり、駅前空間と一体にある坂道としては珍しい部類かもしれないですね。
また写真1左側には八景天祖神社や馬込文士村レリーフなどもあり、大森駅の駅舎とあわせて独特な雰囲気でしたね。
(八景天祖神社や馬込文士村レリーフなどについては次回取り上げます。ここは名所が多いので。)
ちなみにここには、写真2の左側に坂名の由来が記されている案内板があったので、いつものように抜粋させていただくとですね、
『今でこそゆるやかな坂道であるが、昔は相当な急坂で、あたかも薬草などを刻む薬研の溝のようだったところから、別名薬研坂と呼ばれた。この坂の上からは、かつて大森の海辺より遠く房総まで一望でき、この風景を愛した人たちにより、「笠島夜雨、鮫洲晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」という八景が選ばれ、八景坂というようになったといわれる。かつて坂上には、源義家が鎧をかけたと伝えられる松があり、広重らの浮世絵に描かれ、有名であった。』
とありました。
今も緩やかとはいえ、それなりの傾斜のある坂道ですけど、昔はもっと傾斜があったとはどんな坂道だったんでしょうね。
「「笠島夜雨、鮫洲晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」という八景」とあるのは、この坂道からかつて見えた笠島、鮫洲、大森、羽田、六郷、大井、袖浦、池上という地域が見えたということだと思います。

画像1(名所江戸百景「八景坂鎧掛松」)
浮世絵の話も由来説明にでてきたので、探してみるとありました。(画像1)
歌川広重による名所江戸百景「八景坂鎧掛松」(安政3年(1856)刊)ですね。
だいぶデフォルメされていそうな感じもしますが、海はよく見えたようですね。
そして、源義家が鎧をかけたと伝えられる松も描かれていますね。

写真3
現実に戻り、坂上あたりの様子です。(写真3)
大小の店が立ち並んでいる今の風景からは想像できないですけど、このあたりから海も見え、源義家が鎧をかけたと伝えられる松もこのあたりにあったんですかね。
そういえば、写真3左側は、この写真ではわからないですけど、けっこうな崖地のようになっていたんですよ。
上記の浮世絵をみながら思い出しましたよ。

画像2(「(仮称)大森八景坂景観形成重点地区の追加指定等に伴う大田区景観計画変更(案)について」より)
あとこちらは現在進行形の話なのですが、坂道まわりでもまちづくり計画がいろいろと動いているようで、区の資料としてあくまで案だけのようですが、坂道沿いの街並みや建築物のデザインコードを指定したり、駅前に広場をつくるなどの計画案が公開されていましたね。(画像2)
画像2はその計画案の一部ですね。
画像2でいえば、大森駅と書かれたすぐ左側の南北に長い道が今回の八景坂ですね。
とりあえず、今後いろいろと坂道風景的にも変化がありそうな感じなので、いろいろと細かいことが書かれていますが、まちづくり視点で坂道を見るいい機会かもと思い取り上げてみました。
とにかくいろんな意味で楽しみな計画でもありますね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都大田区山王
関連リンク:
→ 清浦さんの坂【NO.574】/大田区山王 - 東京坂道さんぽ
→ 闇坂【NO.573】/大田区山王 - 東京坂道さんぽ
→ 大田区ホームページ:八景坂
→ 大田区ホームページ:第16回大田区景観審議会(令和5年11月13日開催)