NO. 570
坂名:念仏坂
住所: 東京都小金井市前原町
今回は、小金井市の念仏坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、JR中央線・武蔵小金井駅の西側エリアにある東京都立多摩科学技術高等学校の南東にある坂道です。
前に取り上げた金蔵院の坂【NO.525】からなら西へ徒歩8分ほどのところにあります。

写真1
まずは坂上あたりの様子など。(写真1)
ここはちょっと変わった形状の坂道でした。
このあたりは国分寺崖線に沿って坂道があるため、南北の道が坂道になっているのですが、ここは南北に走っている無名坂から西側に向かっている道の入り口に写真1のような坂の碑がありました。
ただ坂道自体は写真1でいえば、奥にすこし歩いたところで、くいっと左に曲り、そこから傾斜のある坂道になっていました。
ちなみに坂名が書かれた坂の碑には由来も書かれていました。
いつものように抜粋させていただくとですね、
『昔、江戸街道から薬師通りに通じ、農民が便利にしていたこの道は、狭く両側から笹や樹木が生い茂っていた。坂の中段、東側に墓地があり、人はいつしか念仏を唱えながら通ったので、念仏坂と呼ばれるようになった。』
とありました。

写真2
写真1の右側にみえていた坂道です。(写真2)
これが国分寺崖線の崖上と崖下を結んでいる坂道ですね。
無名坂でしたが、いい感じでしたね。

写真3
写真1の道を奥に行き、左に曲がると道幅の狭い、まさにかつての農道といった風情の風景となっていました。(写真3)
この狭い道幅は、おそらく昔のままなんでしょうね。
いちおう今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治39年の地図にも今と同じ場所に記載がありましたね。

写真4
坂下あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真4)
ここは写真2の場所から坂下までずっとこんな雰囲気でしたね。
(ただネット情報によれば、今はもうすこし開けた感じになっているようです。)
坂の碑では墓地があったとありましたが、写真3でいえば、右側のどこかですね。
ただ「念仏を唱えながら通った」とあるのは、この狭い雰囲気が怖かったからなのか、なにか宗教的なものなのかはわかりませんでしたね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都小金井市前原町
関連リンク:
→ 金蔵院の坂【NO.525】/小金井市中町 - 東京坂道さんぽ
坂名:念仏坂
住所: 東京都小金井市前原町
今回は、小金井市の念仏坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、JR中央線・武蔵小金井駅の西側エリアにある東京都立多摩科学技術高等学校の南東にある坂道です。
前に取り上げた金蔵院の坂【NO.525】からなら西へ徒歩8分ほどのところにあります。

写真1
まずは坂上あたりの様子など。(写真1)
ここはちょっと変わった形状の坂道でした。
このあたりは国分寺崖線に沿って坂道があるため、南北の道が坂道になっているのですが、ここは南北に走っている無名坂から西側に向かっている道の入り口に写真1のような坂の碑がありました。
ただ坂道自体は写真1でいえば、奥にすこし歩いたところで、くいっと左に曲り、そこから傾斜のある坂道になっていました。
ちなみに坂名が書かれた坂の碑には由来も書かれていました。
いつものように抜粋させていただくとですね、
『昔、江戸街道から薬師通りに通じ、農民が便利にしていたこの道は、狭く両側から笹や樹木が生い茂っていた。坂の中段、東側に墓地があり、人はいつしか念仏を唱えながら通ったので、念仏坂と呼ばれるようになった。』
とありました。

写真2
写真1の右側にみえていた坂道です。(写真2)
これが国分寺崖線の崖上と崖下を結んでいる坂道ですね。
無名坂でしたが、いい感じでしたね。

写真3
写真1の道を奥に行き、左に曲がると道幅の狭い、まさにかつての農道といった風情の風景となっていました。(写真3)
この狭い道幅は、おそらく昔のままなんでしょうね。
いちおう今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治39年の地図にも今と同じ場所に記載がありましたね。

写真4
坂下あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真4)
ここは写真2の場所から坂下までずっとこんな雰囲気でしたね。
(ただネット情報によれば、今はもうすこし開けた感じになっているようです。)
坂の碑では墓地があったとありましたが、写真3でいえば、右側のどこかですね。
ただ「念仏を唱えながら通った」とあるのは、この狭い雰囲気が怖かったからなのか、なにか宗教的なものなのかはわかりませんでしたね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都小金井市前原町
関連リンク:
→ 金蔵院の坂【NO.525】/小金井市中町 - 東京坂道さんぽ