NO. 564
坂名:くまの坂、くま坂
住所: 東京都あきる野市下代継
今回は、あきる野市の「くまの坂」について取り上げてみたいと思います。
場所は、JR五日市線・秋川駅の南側エリアにある「あきる野インター」のすぐ北東側の金松寺の東側にある坂道です。
前に取り上げた山王様坂【NO.562】からなら西へ徒歩3分ほどのところにあります。
写真1
まずは坂下あたりから坂上方向を見てみました。(写真1)
いちおう道のような体裁をしていますが、Googleマップには道路としての記載がなかったですね。
奥に階段が見えていますけど、ここはそこから写真1でいえば、写真1の一番上あたりまでの高低差がある崖地で、そんな場所にある階段とスロープのあるジグザグ形状の坂道でした。
写真2
写真1の右側をみると、山並みを背景に墓地と圏央道のダイナミックな高架橋が見えていました。(写真2)
この墓地は金松寺のものですね。
とにかくこの組み合わせの風景がなんとも印象的でした。
写真3
坂道を上っていきました。(写真3)
中腹あたりですかね。
ジグザグ坂道なので、全景を写真で伝えるのは困難でしたね。
上空に見えているのは圏央道の高架橋ですね。
ちなみにここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、秋川市による「秋川市地名考 : 市民のための郷土史読本」に坂名の由来について記載がありました。
いつものように抜粋させていただくとですね、
『金松寺の墓地の東に、牛沼へ出る急な坂道がある。これを「くまの坂」という。または「くま坂」ともいう。下代継は坂の多いところで、外へ出るには、どうしても坂を登らなければならないのである。』
とありました。
”くま”についての説明はないですが、いくつかの坂道サイトによれば、熊野権現の祠がこのあたりにあったからという説があるそうですね。
ただこれは秋川市の資料にはなく、今昔マップをみてもわからなかったので、あくまで仮説程度で捉えてもらえればと思います。
写真4
さらに上ると、かなり急な傾斜の坂道がありました。
みるからにかなり急なので、傾斜も測っておけばよかったですね。
写真5
坂上あたりの様子です。
このあたりから、圏央道の高架橋が上空を覆う形になっていました。
写真6
最後は坂上あたりからの圏央道の高架橋など。
ダイナミックですね。
あとはGoogleマップを見ていると、写真6で見えている地面のあたりに「牛沼古墳群」があるというピンがたっていましたね。
これだけの高低差のある崖地の上で、近くには秋川も流れているわけなので、やはり昔から人が住んでいた場所だったんでしょうね。
ちなみに、このあたりが崖上ということで思い出したんですけど、写真5の背後の景色は、今は写真1でも見えていた竹林が大きく育っていて、崖下の街並みはまったく見えなかったですね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都あきる野市下代継
関連リンク:
→ 山王様坂【NO.562】/あきる野市牛沼 - 東京坂道さんぽ
坂名:くまの坂、くま坂
住所: 東京都あきる野市下代継
今回は、あきる野市の「くまの坂」について取り上げてみたいと思います。
場所は、JR五日市線・秋川駅の南側エリアにある「あきる野インター」のすぐ北東側の金松寺の東側にある坂道です。
前に取り上げた山王様坂【NO.562】からなら西へ徒歩3分ほどのところにあります。
写真1
まずは坂下あたりから坂上方向を見てみました。(写真1)
いちおう道のような体裁をしていますが、Googleマップには道路としての記載がなかったですね。
奥に階段が見えていますけど、ここはそこから写真1でいえば、写真1の一番上あたりまでの高低差がある崖地で、そんな場所にある階段とスロープのあるジグザグ形状の坂道でした。
写真2
写真1の右側をみると、山並みを背景に墓地と圏央道のダイナミックな高架橋が見えていました。(写真2)
この墓地は金松寺のものですね。
とにかくこの組み合わせの風景がなんとも印象的でした。
写真3
坂道を上っていきました。(写真3)
中腹あたりですかね。
ジグザグ坂道なので、全景を写真で伝えるのは困難でしたね。
上空に見えているのは圏央道の高架橋ですね。
ちなみにここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、秋川市による「秋川市地名考 : 市民のための郷土史読本」に坂名の由来について記載がありました。
いつものように抜粋させていただくとですね、
『金松寺の墓地の東に、牛沼へ出る急な坂道がある。これを「くまの坂」という。または「くま坂」ともいう。下代継は坂の多いところで、外へ出るには、どうしても坂を登らなければならないのである。』
とありました。
”くま”についての説明はないですが、いくつかの坂道サイトによれば、熊野権現の祠がこのあたりにあったからという説があるそうですね。
ただこれは秋川市の資料にはなく、今昔マップをみてもわからなかったので、あくまで仮説程度で捉えてもらえればと思います。
写真4
さらに上ると、かなり急な傾斜の坂道がありました。
みるからにかなり急なので、傾斜も測っておけばよかったですね。
写真5
坂上あたりの様子です。
このあたりから、圏央道の高架橋が上空を覆う形になっていました。
写真6
最後は坂上あたりからの圏央道の高架橋など。
ダイナミックですね。
あとはGoogleマップを見ていると、写真6で見えている地面のあたりに「牛沼古墳群」があるというピンがたっていましたね。
これだけの高低差のある崖地の上で、近くには秋川も流れているわけなので、やはり昔から人が住んでいた場所だったんでしょうね。
ちなみに、このあたりが崖上ということで思い出したんですけど、写真5の背後の景色は、今は写真1でも見えていた竹林が大きく育っていて、崖下の街並みはまったく見えなかったですね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都あきる野市下代継
関連リンク:
→ 山王様坂【NO.562】/あきる野市牛沼 - 東京坂道さんぽ