NO. 560
坂名:桜坂、沼部の大坂、さくら坂
住所: 東京都大田区田園調布本町
今回は、大田区の桜坂について取り上げてみたいと思います。
場所は東急多摩川線・沼部駅から北東に徒歩4分ほどのところにあります。
前に取り上げた富士見坂 【NO.6】からなら南東に徒歩6分くらいです。

写真1
まずは坂上あたりからの眺めです。(写真1)
ここは坂名のとおり坂道沿いに桜が植えられていて、これは昨年の様子ですけど、桜並木とともに坂道が楽しめましたね。
ちなみにここには写真1左でも見えているとおり、坂名の由来が書かれた坂の碑があったので、抜粋させていただくとですね、
『この坂道は、旧中原街道の切通しで、昔は沼部大坂といい、勾配のきつい坂で、荷車の通行などは大変であったという。今ではゆるい傾斜道となっているが、坂の西側に旧中原街道のおもかげを残している。坂名は両側に植えられた桜に因む。』
とありました。
坂の西側は写真1でいえば右側ですね。
おそらくこの書き方だと、ちとわかりにくいですけど、写真1右側の道は今回の坂道と並行してあってですね、坂下あたりで急勾配の坂道になっているんですよ。
たぶんその傾斜具合とかそのあたりのことを言っているのだと思います。

写真2
中腹あたりから坂下方向を見てました。(写真2)
このあたりだと切通し具合がわかりやすいですね。
おかげで坂道風景的にも独特なものとなっているように思えます。
なお現地を歩いてみた感じと坂の碑の説明「坂の西側に旧中原街道のおもかげを残している」や「勾配のきつい坂で、荷車の通行などは大変であったという。」から推測すると、「沼部大坂」と呼ばれていたころはこの切り通しはなくて、おそらく正面に見えている赤い橋のあたりの高さまで地面のレベルはあって、橋の部分から一気に写真1奥にむかって下る急坂だった可能性が高いですね。
あと今の桜は昭和になって植えられたもののようです。
なので桜坂という名前になったのはつい最近ということになりそうですね。

写真3
写真2のすぐ右側には階段もありました。(写真3)
桜坂の道沿いには歩道はないので、ある意味、謎階段でもあるかも。

写真4
写真2の奥に見えていた橋(桜橋というそうです)からの桜坂の眺めなど。(写真4)
あと桜坂といえば、福山雅治さんの曲「桜坂」(2000年発売)のことも取り上げておかないといけないですね。
2022年の紅白歌合戦の大トリでこの曲を福山さんが歌われたことでも知られていますけど、「桜坂」はここを舞台にした曲なんですよ。
この坂道については、タレントのタモリさんによる坂道本「タモリのTOKYO坂道美学入門」でもおすすめの坂道として取り上げられていて、「桜の時期には福山雅治さんのファンが押し寄せています。なかには感極まって涙ぐむ女子の姿もみられるようです」なんてエピソードも書かれていて、いろんな意味で名所となっているようですね。

写真5
最後は坂下あたりの様子など。(写真5)
信号機のところにも「さくら坂」と書かれた標識がありますね。
ただこちらはひらがなですね。
ここまで堂々と書かれていると、こちらも正式名称なんですかね。
あと坂の碑の説明でもでてきた旧中原街道のことで、坂道の途中には「大田区文化財 旧中原街道」の案内板もありました。
こちらも歴史の豆知識がてら抜粋させていただくとですね、
『 中原街道は、江戸から相州の平塚中原に通じる道で、中原往還、相州街道とも呼ばれた。また中原産の食酢を江戸に運ぶ運送路として利用されたため、御酢街道とも呼ばれた。すでに近世以前に存在し、徳川家康が江戸に入国した際に利用され、その後、部分改修されて造成された道である。江戸初期には、参勤交代の道としても利用されたが、公用交通のための東海道が整備されると、脇往還として江戸への物資の流通や将軍の鷹狩などにもしばしば利用された。また平塚からは東海道よりも短距離であったため、急ぎの旅人たちに近道として好まれたという。中原街道の旧道の様子を残しているのは、区内ではこの付近だけとなった。かつて桜坂付近は「沼部大坂」と呼ばれる難所であり、現在の側道がその傾斜の名残りである。』
とありました。
「現在の側道がその傾斜の名残りである。」とここで書かれていましたね。
そして、徳川家康もよく通っていた道だったんですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図:東京都大田区田園調布本町
関連リンク:

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坂名:桜坂、沼部の大坂、さくら坂
住所: 東京都大田区田園調布本町
今回は、大田区の桜坂について取り上げてみたいと思います。
場所は東急多摩川線・沼部駅から北東に徒歩4分ほどのところにあります。
前に取り上げた富士見坂 【NO.6】からなら南東に徒歩6分くらいです。
[坂上からの眺めと坂名の由来について]

写真1
まずは坂上あたりからの眺めです。(写真1)
ここは坂名のとおり坂道沿いに桜が植えられていて、これは昨年の様子ですけど、桜並木とともに坂道が楽しめましたね。
ちなみにここには写真1左でも見えているとおり、坂名の由来が書かれた坂の碑があったので、抜粋させていただくとですね、
『この坂道は、旧中原街道の切通しで、昔は沼部大坂といい、勾配のきつい坂で、荷車の通行などは大変であったという。今ではゆるい傾斜道となっているが、坂の西側に旧中原街道のおもかげを残している。坂名は両側に植えられた桜に因む。』
とありました。
坂の西側は写真1でいえば右側ですね。
おそらくこの書き方だと、ちとわかりにくいですけど、写真1右側の道は今回の坂道と並行してあってですね、坂下あたりで急勾配の坂道になっているんですよ。
たぶんその傾斜具合とかそのあたりのことを言っているのだと思います。
[中腹あたりの様子と謎階段]

写真2
中腹あたりから坂下方向を見てました。(写真2)
このあたりだと切通し具合がわかりやすいですね。
おかげで坂道風景的にも独特なものとなっているように思えます。
なお現地を歩いてみた感じと坂の碑の説明「坂の西側に旧中原街道のおもかげを残している」や「勾配のきつい坂で、荷車の通行などは大変であったという。」から推測すると、「沼部大坂」と呼ばれていたころはこの切り通しはなくて、おそらく正面に見えている赤い橋のあたりの高さまで地面のレベルはあって、橋の部分から一気に写真1奥にむかって下る急坂だった可能性が高いですね。
あと今の桜は昭和になって植えられたもののようです。
なので桜坂という名前になったのはつい最近ということになりそうですね。

写真3
写真2のすぐ右側には階段もありました。(写真3)
桜坂の道沿いには歩道はないので、ある意味、謎階段でもあるかも。
[桜橋からの坂道と桜の眺め]

写真4
写真2の奥に見えていた橋(桜橋というそうです)からの桜坂の眺めなど。(写真4)
[名曲「桜坂」の舞台としての桜坂とタモリさん]
あと桜坂といえば、福山雅治さんの曲「桜坂」(2000年発売)のことも取り上げておかないといけないですね。
2022年の紅白歌合戦の大トリでこの曲を福山さんが歌われたことでも知られていますけど、「桜坂」はここを舞台にした曲なんですよ。
この坂道については、タレントのタモリさんによる坂道本「タモリのTOKYO坂道美学入門」でもおすすめの坂道として取り上げられていて、「桜の時期には福山雅治さんのファンが押し寄せています。なかには感極まって涙ぐむ女子の姿もみられるようです」なんてエピソードも書かれていて、いろんな意味で名所となっているようですね。
[坂下あたりの様子と旧中原街道]

写真5
最後は坂下あたりの様子など。(写真5)
信号機のところにも「さくら坂」と書かれた標識がありますね。
ただこちらはひらがなですね。
ここまで堂々と書かれていると、こちらも正式名称なんですかね。
あと坂の碑の説明でもでてきた旧中原街道のことで、坂道の途中には「大田区文化財 旧中原街道」の案内板もありました。
こちらも歴史の豆知識がてら抜粋させていただくとですね、
『 中原街道は、江戸から相州の平塚中原に通じる道で、中原往還、相州街道とも呼ばれた。また中原産の食酢を江戸に運ぶ運送路として利用されたため、御酢街道とも呼ばれた。すでに近世以前に存在し、徳川家康が江戸に入国した際に利用され、その後、部分改修されて造成された道である。江戸初期には、参勤交代の道としても利用されたが、公用交通のための東海道が整備されると、脇往還として江戸への物資の流通や将軍の鷹狩などにもしばしば利用された。また平塚からは東海道よりも短距離であったため、急ぎの旅人たちに近道として好まれたという。中原街道の旧道の様子を残しているのは、区内ではこの付近だけとなった。かつて桜坂付近は「沼部大坂」と呼ばれる難所であり、現在の側道がその傾斜の名残りである。』
とありました。
「現在の側道がその傾斜の名残りである。」とここで書かれていましたね。
そして、徳川家康もよく通っていた道だったんですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図:東京都大田区田園調布本町
関連リンク:

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