住所:東京都文京区目白台

今回は文京区・胸突坂【NO.555】の西隣にある水神社に訪れてみると階段もよかったので、そのときのことなど。

水神社の階段1
写真1

水神社ですね。(写真1)
写真1は鳥居と参道の階段です。

写真1左側に肥後細川庭園、右側に前回取り上げた胸突坂【NO.555】があるという立地具合ですね。

遠目なので分かりにくいですけど、けっこう急な階段でした。

水神社の階段2
写真2

階段上まできてみると、奥に社殿が見えてきました。(写真2)
両側の巨木(御神木?)もインパクトありましたね。

水神社の階段3
写真3

階段上からの様子です。(写真3)
急すぎて階段下はみえませんでした。

それにしても両側の巨木(御神木?)というかイチョウの存在感がすごかったですね。

水神社の階段4
写真4

社殿もぱちりと。(写真4)
写真4右側に見えている階段が胸突坂【NO.555】ですね。

そういえば、胸突坂【NO.555】の坂名由来の案内板には『坂下の西には水神社(神田上水の守護神)があるので、別名「水神坂」ともいわれる。』とも書かれていましたけど、この位置関係なら納得ですね。

ちなみに水神社については創建の年代は明らかでないそうです。
祭神は、速秋津彦命・速秋津姫命・応神天皇とのこと。

境内にあった案内板によれば、『わが国最古の神田上水は、徳川家康の命により、大久保主水が開いた。井頭池からの流れを、目白台下の現大滝橋のあたりに、堰(大洗堰)を築き、水位をあげて上水を神田、日本橋方面に通じた。伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立ち、「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり」と告げたのでここに水神を祭ったという。』
と神社の成り立ちについての説明がありました。

あとこのあたりは田園地帯で、神田上水が流れ、後ろには目白台の椿山を控え、西には富士の姿も眺められて、江戸時代は行楽の地であった、とも案内板にはありましたね。
”富士の姿”ということは社殿あたりから昔は富士山が見えたんですかね。
そういう意味では富士見階段だったのかな。

話はすこしそれますが、タレントのタモリさんによる坂道本「タモリのTOKYO坂道美学入門」の胸突坂のページでも、このあたりは江戸時代の行楽の名所だったことがふれられていて、今も変わらず都心とは思えない樹木がうっそうと茂るところだったことから、タモリ倶楽部で軽井沢に来ていますとうそをついて実はロケをこの地で行っていたというような裏話をさらりと紹介していましたね。

水神社の階段5
画像1

最後は長谷川雪旦による江戸名所図会「目白下大洗堰」です。(画像1)
どうやらかつてのこのあたりの神田川の様子を描いたものだそうです。

これだけのものがあれば、これだけでも観光地になりそうですね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
東京都文京区目白台

関連リンク:  
→    胸突坂【NO.555】/文京区目白台 - 東京坂道さんぽ
→    文京区 水神社(すいじんじゃ)