NO. 549
坂名:中坂
住所:東京都千代田区九段北

今回は千代田区の「中坂」について取り上げてみたいと思います。
場所は都営新宿線および東京メトロ・九段下駅のすぐ北側にあります。
前に取り上げた冬青木坂【NO.538】からなら南へ徒歩1分で、九段坂【NO.376】からでも北に徒歩1分ほどのところにあります。

中坂【NO.549】1
写真1

まずは坂上あたりの様子など。(写真1)
直線の坂道で、ここからでも坂下あたりが見えていました。

九段下駅からも近いこともあり、界隈のオフィスビルが立ち並んではいるのですが、この高低差との組み合わせがなんとも印象的でしたね。

あとは写真1背後に「硯友社跡 」の案内看板がありました。
日本初の明治時代の文学結社、硯友社の社屋があったからだそうです。

ちなみにここには、写真1でもすこし遠目ですけど見えているとおり、坂の碑がありました。
いつものように抜粋させていただくとですね、
『江戸時代初期に徳川家康が視察に来た時、付近の農民である飯田喜兵衛が案内役を務め、それ以降喜兵衛が名主となったことから、この地域を飯田町と呼ぶようになりました。元禄十年(一六九七)の大火の後、付近の武家屋敷が移転した際、新たにこの坂が作られ、飯田坂と呼ばれました。その後、南にある九段坂と北にある冬青木坂の中間に位置することから中坂といわれるようになりました。現在では九段坂(靖国通り)が交通の中心ですが、江戸時代には中坂が重要な交通路であり、多数の商店が軒を並べていました。また、神田祭の山車などはみな、この中坂を通りました』
とありました。

冬青木坂【NO.538】と九段坂【NO.376】は前にこのブログでもすでに取り上げています。
昔は九段坂【NO.376】よりも重要な交通路だったんですね。

九段坂【NO.376】は、今のような姿になる前(江戸時代)は今より急で階段坂だったはずので、考えてみれば今回の坂道が重要な交通路になるのも最もかもですね。

中坂【NO.549】2
中腹あたりには、築土神社への入口がありました。(写真2)
どうやらここは、ビルと一体に再整備された神社のようでしたね。
社殿はこのビルの奥にありました。

築土神社については、天慶3年(940)に現在の大手町周辺の観音堂に平将門を祭り津久戸大明神と称したのがはじまりとされ、江戸城築城後の文明10年(1478)に太田道灌が社殿を造営したそうで、山王・神田明神とともに江戸三社の一つに数えられた時期もあったそうです。その後、江戸城の拡張工事により筑土八幡神社隣接地(現:新宿区筑土八幡町)へ移転するなど、都内を転々としたあと、昭和29年に現在地に移転したそうです。

中坂【NO.549】3
写真3

最後は坂下からの様子など。(写真3)
傾斜はけっこうありますが、普通のアスファルト舗装でしたね。

また江戸時代の古地図にもあるこの坂道と両側の近代的なオフィスビルとの対比もよりわかりやすかったですね。

ということで、今回はこんな感じです。

地図
東京都千代田区九段北

関連リンク:  
→    冬青木坂【NO.538】/東京都千代田区九段北+富士見 - 東京坂道さんぽ
→    九段坂【NO.376】その4/千代田区九段北/ 坂道からの富士山の眺め - 東京坂道さんぽ
→    築土神社   御由緒
→    硯友社跡/千代田区文化財サイト