NO. 547
坂名:志村城址坂
住所:東京都板橋区志村

今回は板橋区の志村城址坂について取り上げてみたいと思います。
場所は都営三田線・志村三丁目駅のすぐ南側にある板橋区立志村城山公園の南側に隣接している坂道です。
前回取り上げた「城山の坂【NO.546】」からなら北に徒歩2分ほどのところにあります。

志村城址坂【NO.547】1
写真1

まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
もうここから急坂感でていますけど、崖地の坂道でした。
しかもこのすぐ背後(徒歩1分くらい)が都営三田線・志村三丁目駅なので、駅前からも見える坂道でした。

なんとなくこの雰囲気からもわかるかもしれないですが、崖地の上にはかつて志村城があったそうです。
志村城については、城山の坂【NO.546】で取り上げたとおり、崖上に熊野神社があり、入口の鳥居のそばには「志村城趾」と書かれた石碑と「志村城趾と熊野神社」という案内板があり、そこに志村城は、康正二(一四五六)年に千葉自胤(室町時代の武将)が赤城城に入場した際、一族の千葉隠岐守信胤が入場して、赤塚城の前衛拠点としたというような説明が書きがありましたね。

志村城址坂【NO.547】2
写真2

中腹あたりから坂下方向を見てみたものです。(写真2)
かなりの急坂でした。
なので舗装もドーナツ型の滑り止めになっていましたね。

志村城址坂【NO.547】3
写真3

坂上からりの様子です。(写真3)
このあたりにくると開放感もありました。

ちなみにここには、坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでした。
由来については、書籍「今昔東京の坂道」にもありますが、ちょうど写真3の坂上あたりにあった志村城址に由来しているということのようです。

ただこの坂道については、今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治42年の地図には記載がなく、年度を追っていくと、なんと最新の地図の次に古い平成13年(2001年)の地図にもそれらしい道はなかったです。
ただ書籍「今昔東京の坂道」は昭和56年出版の坂道本で、そこには”コパル株式会社工場前をカーブしながら下る”とあり、コパル株式会社は写真3でいえば左背後のあたりで、今の地図をみると、かつてのコパル株式会社の場所には日本電産コパル本社ビルがあり、そういう意味では、昔はコパルの私有地だったから、地図にも記載が見られなかったのかもしれないですね。

なので、ここは以前は抜け道的な坂道だったのが、けっこう最近になってこういう道路というか坂道風景になった可能性が高いですね。

志村城址坂【NO.547】4
写真4

写真3の右側の景色です。(写真4)
崖上からの景色ですね。
この高低差と崖地は昔から変わっていないでしょうから、たしかにこれなら城を造るのにもうってつけの地形具合だったでしょうね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
東京都板橋区志村

関連リンク:
 →    城山の坂【NO.546】/板橋区志村 - 東京坂道さんぽ