NO. 538
坂名:冬青木(もちのき)坂 、黐の木坂
住所:東京都千代田区九段北+富士見

今回は千代田区の冬青木坂について取り上げてみたいと思います。
場所は都営新宿線および東京メトロ・九段下駅のすぐ北側にある駐日フィリピン大使公邸の南側に隣接している坂道です。
前に取り上げた九段坂【NO.376】からなら南へ徒歩3分ほどのところにあります。

冬青木坂【NO.538】1
写真1

まずは坂上あたりの様子など。(写真1)
距離の短いまっすぐな坂道で、ここからでも坂下あたりが見えていました。

ちなみにここには写真1でも見えているとおり、坂名の由来が書かれた坂の碑があったので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『元禄十年(一六九七)の大火後、この坂より北側には武家屋敷が広がり、南側には元飯田町がありました。坂の途中にあった武家屋敷に植えられていた古木が、モチノキであるということから名付けられました。明治時代、坂上の東角には、JR中央線の前身である甲武鉄道の建設に力を尽くし、社長を務めた実業家雨宮啓次郎の邸宅がありました。』

坂上の東角ということは、写真1でいえば左側あたりですかね。
雨宮啓次郎については、国立国会図書館のHP(近代日本人の肖像)に記載がありましたね。
一部抜粋させていただくとですね、『甲州財閥の一翼を担った実業家。名主の家に生れる。行商から身を起こし、両替商など各種の事業で成功をおさめる。その後事業の失敗と成功を繰り返し、明治21(1888)年に甲武鉄道の取締役となる。以後、川越鉄道、北海道炭礦鉄道と関わり、日本鋳鉄会社を起した。36年には東京市街鉄道株式会社を設立、39年に同社を辞した後、京浜電鉄、江ノ島電鉄の社長となるなど、近代産業の多くの分野の事業に参画した。早くより鉄道国有論を唱える。』
とありました。

あと写真1すぐ左側には駐日フィリピン大使館公邸がありました。
駐日フィリピン大使館公邸は、元々安田財閥の一人安田岩次郎の住まいとして建てられ、岩次郎の姪にあたるオノ・ヨーコさんが幼少期を過ごしたことでも知られているそうですね。
またフィリピン共和国の国家的歴史建造物に指定されているそうです。
なお安田岩次郎邸は昭和10(1935)年に建てられたそうなので、雨宮啓次郎邸の跡地に建てられたということになりそうですね。

冬青木坂【NO.538】2
写真2

中腹あたりには、坂道から北側に抜けることができるトンネル坂道がありましたね。(写真2)
郊外の道路によくあるトンネル坂道ですけど、こういう都心のどまんなかにあると気になってしまいますね。

冬青木坂【NO.538】3
写真3

最後は坂下あたりの様子です。(写真3)
こうしてみると高低差かなりありますね。

ここも江戸時代の古地図に記載があるので、昔からこういう感じだったんでしょうね。

ということで、今回はこんな感じです。

地図
東京都千代田区九段北+富士見

関連リンク:  
→   九段坂【NO.376】その4/千代田区九段北/ 坂道からの富士山の眺め - 東京坂道さんぽ
→   冬青木坂/千代田区文化財サイト
→   雨宮敬次郎|近代日本人の肖像 _ 国立国会図書館
→   駐日フィリピン大使館公邸(スポット紹介)_【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト _ Visit Chiyoda