住所:東京都東久留米市小山
今回は、前回取り上げた馬坂【NO.526】のすぐ東にある子ノ神社の階段を歩いたときのことでも。

写真1
まずは階段下あたりに様子など。(写真1)
神社の参道ともいえる階段で、高低差は馬坂【NO.526】と同じくらいけっこうありました。
子ノ神社は、文禄元年(1592年)にこのあたり(小山)を治めていた地頭矢部藤九郎が勧請した社と伝えられています。
地頭の矢部藤九郎といえば、馬坂【NO.526】でもでてきましたね。
要は領主のかたですね。

写真2
一気に階段上まできて、坂下方向を見てみました。(写真2)
直線で、高低差もあるので、景色も良好でした。
意外とこういう具合に樹木がなくて眺望が開けている神社の階段はそうそうなかったと思いますね。
そういう意味でも、子ノ神社の男坂と呼んでいろんな方々に知ってもらってもいい場所だとは思いますね。
歴史もありそうですし。

写真3
最後は写真2の背後にあった拝殿です。(写真3)
境内の案内板によれば、建物は文政元年(1818)10月に建立し、そのあと明治4年(1871)8月以降数回に亘り修築されたとのこと。
また氏子によって奉納される神田流のお囃子(おはやし)は、市の無形文化財に指定されているとのこと。
あとは矢部藤九郎についての記載もあり、『矢部氏は相模三浦氏の子孫で、小田原北条氏に仕えていたが、徳川時代の始め、300石を賜り小山村の地頭となった。神社の西方畑地にその屋敷跡があったという。』とありましたね。
「神社の西方畑地にその屋敷跡があった」とあるので、立地的にはちょうど馬坂【NO.526】の坂上あたりのどこかということになりそうですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
東京都東久留米市小山
関連リンク:
→ 馬坂【NO.526】/東久留米市小山 - 東京坂道さんぽ
→ 南沢氷川神社
今回は、前回取り上げた馬坂【NO.526】のすぐ東にある子ノ神社の階段を歩いたときのことでも。

写真1
まずは階段下あたりに様子など。(写真1)
神社の参道ともいえる階段で、高低差は馬坂【NO.526】と同じくらいけっこうありました。
子ノ神社は、文禄元年(1592年)にこのあたり(小山)を治めていた地頭矢部藤九郎が勧請した社と伝えられています。
地頭の矢部藤九郎といえば、馬坂【NO.526】でもでてきましたね。
要は領主のかたですね。

写真2
一気に階段上まできて、坂下方向を見てみました。(写真2)
直線で、高低差もあるので、景色も良好でした。
意外とこういう具合に樹木がなくて眺望が開けている神社の階段はそうそうなかったと思いますね。
そういう意味でも、子ノ神社の男坂と呼んでいろんな方々に知ってもらってもいい場所だとは思いますね。
歴史もありそうですし。

写真3
最後は写真2の背後にあった拝殿です。(写真3)
境内の案内板によれば、建物は文政元年(1818)10月に建立し、そのあと明治4年(1871)8月以降数回に亘り修築されたとのこと。
また氏子によって奉納される神田流のお囃子(おはやし)は、市の無形文化財に指定されているとのこと。
あとは矢部藤九郎についての記載もあり、『矢部氏は相模三浦氏の子孫で、小田原北条氏に仕えていたが、徳川時代の始め、300石を賜り小山村の地頭となった。神社の西方畑地にその屋敷跡があったという。』とありましたね。
「神社の西方畑地にその屋敷跡があった」とあるので、立地的にはちょうど馬坂【NO.526】の坂上あたりのどこかということになりそうですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
東京都東久留米市小山
関連リンク:
→ 馬坂【NO.526】/東久留米市小山 - 東京坂道さんぽ
→ 南沢氷川神社