NO. 518
坂名:神明坂、馬場坂
住所:東京都港区三田
今回は、港区の神明坂について取り上げてみたいと思います。
場所は在日オーストラリア大使館の北側にあり、前に取り上げた日向坂【NO.515】とは坂上で繋がっている坂道です。
最寄駅でいえば、都営大江戸線・赤羽橋駅ですかね。

写真1
坂上あたりの様子です。(写真1)
右側は三田ガーデンヒルズという大規模な高級マンションが建設中で工事中でした。
ここは遠くに見える高層マンション群が印象的な感じでした。

写真2
写真1左側には志ほあみ地蔵尊もありました。(写真2)
この背後には龍原寺もありましたね。

写真3
この日は道路工事が行われていましたよ。(写真3)
坂上あたりですね。
かなり貴重な写真かも。
坂道の碑が写っているという意味でも。
いやはやありがたいですね。
先の能登半島地震では道路が寸断されて復旧がままならないというニュースも聞きますけど、やはり道路は大事ですね。
まちづくりのすべての基本ですよね。
道がなければ造成やら建設工事もできないし(まったくではないですけど、かなりたいへん)、できたらできたで物流でも必須ですしね。
あって当たり前の感覚の人も今や(特にこの30年くらい)多いとは思いますけど、これも世界では当たり前ではないんですよね(もちろん皮肉ではなくいい意味で)。
そんなことをふと思いました。

写真4
過去の写真を探してみたら2017年に坂上から撮ったものがありました。(写真4)
右側の敷地もまだ工事がはじまっていなくて、のどかな雰囲気でしたね。

写真5
坂道の途中からは新しくできた擁壁ごしに東京タワーもなんとか見えていました。(写真5)
これもいまだけの景色かもしれないですね。

写真6
坂下あたりの様子です。(写真6)
昔はしっとりと落ち着いた雰囲気でしたけど、左側のマンションでだいぶ変わるのかもしれないですね。
ちなみにここには写真6でも見えているとおり坂名の由来が書かれた坂の碑がありました。
そのまま抜粋させていただくとですね、
『天祖神社を元神明というところから神明坂と呼んだ。馬場坂という説もあるが、綱の手引坂との混同があるらしい。 』
とありました。

写真7
写真6のすぐ背後には坂名の由来にも関連している元神明宮 (天祖神社) がありました。(写真7)
神社のHPによれば、平安時代の寛弘二年(西暦1005年)一條天皇の勅命により創建されたとのこと。そして渡辺綱の産土神でもあり、多くの武人に崇敬を受けたとも。
また近年では厄除けの神社として全国の方々より崇拝されているとのこと。
渡辺綱については、綱坂【NO.517】や綱の手引坂【NO.516】でも取りあげましたが、羅生門の鬼退治で有名な平安時代の武士で、源頼光の四天王の一人としても有名ですね。
また源頼光といえば、酒呑童子伝説でも有名で、ちょうどいま放送中の大河ドラマ「光る君へ」のメインキャストとして扱われている藤原道長の側近としても知られていますよね。

写真8
これまた2017年の写真ですが、坂道の碑と元神明宮 (天祖神社)が一緒に写っている写真を撮っていました。(写真8)
写真7では階段手前の仮説の鳥居のようなものがあってなんだろうと思ったのですが、写真8をみるとあれはちょうちんを設置するためのものだったのですね。
あとは写真7ではわかりずらかったのですが、写真8ではわかりやすくて、境内の樹木が大きいのも印象的でしたね。

画像
最後は、長谷川雪旦による江戸名所図会「小山神明宮」です。
描かれているのは現在の元神明宮 (天祖神社)で、天保七年(1836年)に描かれたものとのこと。
地形具合も今とほぼ同じなので、手前の左右に走っている道が神明坂ということになりそうですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図:東京都港区三田
関連リンク:
坂名:神明坂、馬場坂
住所:東京都港区三田
今回は、港区の神明坂について取り上げてみたいと思います。
場所は在日オーストラリア大使館の北側にあり、前に取り上げた日向坂【NO.515】とは坂上で繋がっている坂道です。
最寄駅でいえば、都営大江戸線・赤羽橋駅ですかね。

写真1
坂上あたりの様子です。(写真1)
右側は三田ガーデンヒルズという大規模な高級マンションが建設中で工事中でした。
ここは遠くに見える高層マンション群が印象的な感じでした。

写真2
写真1左側には志ほあみ地蔵尊もありました。(写真2)
この背後には龍原寺もありましたね。

写真3
この日は道路工事が行われていましたよ。(写真3)
坂上あたりですね。
かなり貴重な写真かも。
坂道の碑が写っているという意味でも。
いやはやありがたいですね。
先の能登半島地震では道路が寸断されて復旧がままならないというニュースも聞きますけど、やはり道路は大事ですね。
まちづくりのすべての基本ですよね。
道がなければ造成やら建設工事もできないし(まったくではないですけど、かなりたいへん)、できたらできたで物流でも必須ですしね。
あって当たり前の感覚の人も今や(特にこの30年くらい)多いとは思いますけど、これも世界では当たり前ではないんですよね(もちろん皮肉ではなくいい意味で)。
そんなことをふと思いました。

写真4
過去の写真を探してみたら2017年に坂上から撮ったものがありました。(写真4)
右側の敷地もまだ工事がはじまっていなくて、のどかな雰囲気でしたね。

写真5
坂道の途中からは新しくできた擁壁ごしに東京タワーもなんとか見えていました。(写真5)
これもいまだけの景色かもしれないですね。

写真6
坂下あたりの様子です。(写真6)
昔はしっとりと落ち着いた雰囲気でしたけど、左側のマンションでだいぶ変わるのかもしれないですね。
ちなみにここには写真6でも見えているとおり坂名の由来が書かれた坂の碑がありました。
そのまま抜粋させていただくとですね、
『天祖神社を元神明というところから神明坂と呼んだ。馬場坂という説もあるが、綱の手引坂との混同があるらしい。 』
とありました。

写真7
写真6のすぐ背後には坂名の由来にも関連している元神明宮 (天祖神社) がありました。(写真7)
神社のHPによれば、平安時代の寛弘二年(西暦1005年)一條天皇の勅命により創建されたとのこと。そして渡辺綱の産土神でもあり、多くの武人に崇敬を受けたとも。
また近年では厄除けの神社として全国の方々より崇拝されているとのこと。
渡辺綱については、綱坂【NO.517】や綱の手引坂【NO.516】でも取りあげましたが、羅生門の鬼退治で有名な平安時代の武士で、源頼光の四天王の一人としても有名ですね。
また源頼光といえば、酒呑童子伝説でも有名で、ちょうどいま放送中の大河ドラマ「光る君へ」のメインキャストとして扱われている藤原道長の側近としても知られていますよね。

写真8
これまた2017年の写真ですが、坂道の碑と元神明宮 (天祖神社)が一緒に写っている写真を撮っていました。(写真8)
写真7では階段手前の仮説の鳥居のようなものがあってなんだろうと思ったのですが、写真8をみるとあれはちょうちんを設置するためのものだったのですね。
あとは写真7ではわかりずらかったのですが、写真8ではわかりやすくて、境内の樹木が大きいのも印象的でしたね。

画像
最後は、長谷川雪旦による江戸名所図会「小山神明宮」です。
描かれているのは現在の元神明宮 (天祖神社)で、天保七年(1836年)に描かれたものとのこと。
地形具合も今とほぼ同じなので、手前の左右に走っている道が神明坂ということになりそうですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図:東京都港区三田
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