NO. 517
坂名:綱坂、渡辺坂、馬場坂
住所:東京都港区三田
今回は港区の綱坂について取り上げてみたいと思います。
場所は駐日イタリア大使館と綱町三井倶楽部の間にあり、坂下あたりには慶應義塾大学三田キャンパスがあります。
前に取り上げた綱の手引坂【NO.516】からなら、南へ徒歩1分ほどの距離にあります。
最寄駅でいえば、都営大江戸線・赤羽橋駅ですかね。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
左側の綱町三井倶楽部の塀が印象的で、坂道風景的にも都内を代表するレベルのものだと勝手に思っていますよ。
またこのすぐ右側には慶應義塾大学三田キャンパスの入口もありました。
警備の方もいて、周りの有名施設もあいまってなんとも厳粛な雰囲気もただよっていましたね。
ちなみにここには写真1でも見えているとおり坂名の由来が書かれている坂の碑があったので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『羅生門の鬼退治で有名な、平安時代の武士渡辺綱(わたなべのつな)が付近に生まれたという伝説による。 』
とありました。
渡辺綱については、綱の手引坂【NO.516】でも触れましたが、源頼光の四天王の一人としても有名ですね。
また源頼光といえば、酒呑童子伝説で有名な平安時代の武士で、ちょうどいま放送中の大河ドラマ「光る君へ」のメインキャストとして扱われている藤原道長の側近としても知られていますよね。
あとは、江戸東京坂道事典など各坂道本でこの坂道のことが取り上げられていますが、中でも最近出版された(タレントの)タモリさんによる書籍「お江戸・東京 坂タモリ 港区編 」にもこの綱坂のことが取り上げられていて、けっこうなページを割いてありました。
せっかくなので一部抜粋させていただくとですね、
『その景観の豪華さは、けだし名坂です。『江戸名所図会』には「松平隠岐候と会津家との藩邸の間を、寺町へ下る坂」と書かれ、単独で紹介されていますが、坂名は先述した渡辺綱の名に由来します。渡辺綱は、”酒呑童子”征伐伝説などで知られる源頼光に従った”四天王”の一人で、羅生門で鬼の腕を奪ったとか、大蜘蛛を退治したとか、やはり英雄説話に富む人物です。綱は武蔵國箕田(現・港区三田)で生まれたという説があり、江戸っ子はこの説を支持したわけです。 』
とありました。
渡辺綱の人物像にも触れられていて、これまでの各坂道本の要約的な内容でわかりやすかったので、そこの部分を抜粋させていただきました。

写真2
一気に坂上まできて、坂下方向を見てみました。(写真2)
雰囲気よかったですね。
なお写真2右側の駐日イタリア大使館の敷地内には、かつてこの地で切腹した赤穂浪士たちの追悼碑があるらしいですね。
これもタモリさんによる書籍「お江戸・東京 坂タモリ 港区編 」でふられていて、ブラタモリで駐日イタリア大使館を訪れたときに現物をみたと書かれてありましたね。
書籍ではそこから武士道の話まで展開されていましたよ。(気になる方は書籍も読んでみると楽しいかもですね。)

画像
あとはですね、横浜美術館コレクション検索にて幕末の写真家ベアト・フェリーチェによる幕末の三田綱坂のカラー写真が公開されていました。
(70年以上前のものなので、拝借しました。)
どうやら坂下あたりから坂上方向を見ているもののようですね。
この写真は有名ですが、カラーだったとは知りませんでしたよ。
ということで、今回はこんな感じです。
地図:東京都港区三田
関連リンク:
→ お江戸・東京 坂タモリ 港区編 (タモリの江戸の坂道シリーズ) [ タモリ ] (楽天ブックス)
坂名:綱坂、渡辺坂、馬場坂
住所:東京都港区三田
今回は港区の綱坂について取り上げてみたいと思います。
場所は駐日イタリア大使館と綱町三井倶楽部の間にあり、坂下あたりには慶應義塾大学三田キャンパスがあります。
前に取り上げた綱の手引坂【NO.516】からなら、南へ徒歩1分ほどの距離にあります。
最寄駅でいえば、都営大江戸線・赤羽橋駅ですかね。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
左側の綱町三井倶楽部の塀が印象的で、坂道風景的にも都内を代表するレベルのものだと勝手に思っていますよ。
またこのすぐ右側には慶應義塾大学三田キャンパスの入口もありました。
警備の方もいて、周りの有名施設もあいまってなんとも厳粛な雰囲気もただよっていましたね。
ちなみにここには写真1でも見えているとおり坂名の由来が書かれている坂の碑があったので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『羅生門の鬼退治で有名な、平安時代の武士渡辺綱(わたなべのつな)が付近に生まれたという伝説による。 』
とありました。
渡辺綱については、綱の手引坂【NO.516】でも触れましたが、源頼光の四天王の一人としても有名ですね。
また源頼光といえば、酒呑童子伝説で有名な平安時代の武士で、ちょうどいま放送中の大河ドラマ「光る君へ」のメインキャストとして扱われている藤原道長の側近としても知られていますよね。
あとは、江戸東京坂道事典など各坂道本でこの坂道のことが取り上げられていますが、中でも最近出版された(タレントの)タモリさんによる書籍「お江戸・東京 坂タモリ 港区編 」にもこの綱坂のことが取り上げられていて、けっこうなページを割いてありました。
せっかくなので一部抜粋させていただくとですね、
『その景観の豪華さは、けだし名坂です。『江戸名所図会』には「松平隠岐候と会津家との藩邸の間を、寺町へ下る坂」と書かれ、単独で紹介されていますが、坂名は先述した渡辺綱の名に由来します。渡辺綱は、”酒呑童子”征伐伝説などで知られる源頼光に従った”四天王”の一人で、羅生門で鬼の腕を奪ったとか、大蜘蛛を退治したとか、やはり英雄説話に富む人物です。綱は武蔵國箕田(現・港区三田)で生まれたという説があり、江戸っ子はこの説を支持したわけです。 』
とありました。
渡辺綱の人物像にも触れられていて、これまでの各坂道本の要約的な内容でわかりやすかったので、そこの部分を抜粋させていただきました。

写真2
一気に坂上まできて、坂下方向を見てみました。(写真2)
雰囲気よかったですね。
なお写真2右側の駐日イタリア大使館の敷地内には、かつてこの地で切腹した赤穂浪士たちの追悼碑があるらしいですね。
これもタモリさんによる書籍「お江戸・東京 坂タモリ 港区編 」でふられていて、ブラタモリで駐日イタリア大使館を訪れたときに現物をみたと書かれてありましたね。
書籍ではそこから武士道の話まで展開されていましたよ。(気になる方は書籍も読んでみると楽しいかもですね。)

画像
あとはですね、横浜美術館コレクション検索にて幕末の写真家ベアト・フェリーチェによる幕末の三田綱坂のカラー写真が公開されていました。
(70年以上前のものなので、拝借しました。)
どうやら坂下あたりから坂上方向を見ているもののようですね。
この写真は有名ですが、カラーだったとは知りませんでしたよ。
ということで、今回はこんな感じです。
地図:東京都港区三田
関連リンク:
→ お江戸・東京 坂タモリ 港区編 (タモリの江戸の坂道シリーズ) [ タモリ ] (楽天ブックス)