住所:東京都港区三田
前回取り上げた綱の手引坂【NO.516】のすぐ南側の駐日イタリア大使館前の道路が姥(うば)坂かもしれないということで、今回はそのことについてです。

写真1
ここは駐日イタリア大使館前から東に下っている坂道です。(写真1)
ここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はなかったのですが、前回取り上げた綱の手引坂【NO.516】のことを調べているうちに、ここが姥坂かもしれないという説があることを知りました。
姥坂は、綱の手引坂【NO.516】の坂の碑では別名として説明書がありましたが、江戸東京坂道事典(書籍)には、「近代沿革図集」(港区役所発行)によれば綱の手引坂【NO.516】と姥坂は別の坂道だとし、イタリア大使館の前かと思われると記述しているんですよ。
また今昔東京坂(書籍)でも港区史に同じようなこと(= 綱の手引坂【NO.516】と姥坂は別の坂道)が書かれてあるとありましたね。
ただ綱の手引坂【NO.516】の坂の碑には『平安時代の勇士 源頼光、四天王の一人、渡辺綱(わたなべのつな)にまつわる名称である。姥坂(うばざか)とも呼んだが 馬場坂の説もある。 』と書かれていたので、あくまで今回は仮説として取り上げることにしてみました。
なお、江戸時代の古地図をみると、今回の坂道のあるところに道はなかったですが、今昔マップをみると掲載されている一番古い地図の明治42年にはこの道路の記載があり、それなりに古くからある坂道なので、なかなか判断は難しいですね。

写真2
最後は、写真1とだいたい同じ位置から坂上方向を見てみたものです。(写真2)
奥左側に大樹が見えていますけど、あのあたりが駐日イタリア大使館ですね。
ちなみにこの日も警備の警察官はいましたけど、大使館前の門などの写真は特に撮っても問題ないということでしたよ。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
東京都港区三田
関連リンク:
→ 綱の手引坂【NO.516】/港区三田 - 東京坂道さんぽ
前回取り上げた綱の手引坂【NO.516】のすぐ南側の駐日イタリア大使館前の道路が姥(うば)坂かもしれないということで、今回はそのことについてです。

写真1
ここは駐日イタリア大使館前から東に下っている坂道です。(写真1)
ここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はなかったのですが、前回取り上げた綱の手引坂【NO.516】のことを調べているうちに、ここが姥坂かもしれないという説があることを知りました。
姥坂は、綱の手引坂【NO.516】の坂の碑では別名として説明書がありましたが、江戸東京坂道事典(書籍)には、「近代沿革図集」(港区役所発行)によれば綱の手引坂【NO.516】と姥坂は別の坂道だとし、イタリア大使館の前かと思われると記述しているんですよ。
また今昔東京坂(書籍)でも港区史に同じようなこと(= 綱の手引坂【NO.516】と姥坂は別の坂道)が書かれてあるとありましたね。
ただ綱の手引坂【NO.516】の坂の碑には『平安時代の勇士 源頼光、四天王の一人、渡辺綱(わたなべのつな)にまつわる名称である。姥坂(うばざか)とも呼んだが 馬場坂の説もある。 』と書かれていたので、あくまで今回は仮説として取り上げることにしてみました。
なお、江戸時代の古地図をみると、今回の坂道のあるところに道はなかったですが、今昔マップをみると掲載されている一番古い地図の明治42年にはこの道路の記載があり、それなりに古くからある坂道なので、なかなか判断は難しいですね。

写真2
最後は、写真1とだいたい同じ位置から坂上方向を見てみたものです。(写真2)
奥左側に大樹が見えていますけど、あのあたりが駐日イタリア大使館ですね。
ちなみにこの日も警備の警察官はいましたけど、大使館前の門などの写真は特に撮っても問題ないということでしたよ。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
東京都港区三田
関連リンク:
→ 綱の手引坂【NO.516】/港区三田 - 東京坂道さんぽ