今年もこの日がやってきました。
もうあれから29年が経つんですね。
今年は能登半島地震が1月1日に起こり、甚大な被害状況をニュースで見聞きする日が続き、僕自身、1.17のことを日々思い出すことが多い年初めとなっているような気がします。
そこで今年は、例年続けている震災遺構に訪れるのを一休みして、年始に「人と防災未来センター」に訪れました。
2020年ぶりなので、それほど年月は過ぎていないはずなのですが、能登半島地震の被害状況を思い出しながら、防災館をまわってみると新たな気づきも多かったです。

写真1
館内の常設展示もすこし変わっているところもありましたが、まず気になったのは企画展「関東大震災100年。100年前と今。都市における大災害に備えよう!」でした。(写真1)
100年前に起きた関東大震災の状況を伝えるとともに、阪神・淡路大震災の教訓も生かした関東大震災との比較パネルなども展示されていました。

写真2
会場の様子です。(写真2)
たくさんの写真パネルがありました。

写真3
地震直後の東京・赤坂の街並みを撮影したものらしいです。(写真3)
元は白黒だったようですが、最近カラー化されたそうです。

写真4
こちらはいまでいえば、災害伝言ダイヤル的なもので、増上寺の山門に避難者の情報が掲示されていたところを撮ったものらしいです。(写真4)
昔のお寺はそういう役目もになっていたんでしょうね。
今でいえば市役所とか体育館的な役割も兼ねていたのかもしれないですね。

写真5
こちらは浅草の仲見世通りの震災からしばらくしての様子とのこと。(写真5)
こちらも元は白黒で、最近カラー化されたようです。
なんだかいろいろと考えされられる風景かもですね。

写真6
震度分布図もありました。(写真6)
これをみると湘南あたりが一番揺れが強かったように見えますね。

写真7
こちらは『阪神・淡路大震災の教訓106 「伝える」ダイジェスト・グラフィックス』という常設展示物で、前回訪れたときはなかったものだと思います。(写真7)
106の教訓がわかりやすい絵図(ダイジェスト・グラフィックス)で展示されていました。

写真8
その中から気になったものとして、インフラ系の復旧に要した期間が、阪神・淡路大震災と東日本大震災のときとに比較されて並べられていました。(写真8)
どう捉えるかはみなんさんにお任せします。

写真9
こちらは倒壊家屋の解体処理量についての絵図です。(写真9)
こちらも阪神・淡路大震災と東日本大震災のときとに比較されて並べられていました。
壊れた家々からでたがれきをどうするかも問題ですね。

写真10
過去の各地での災害での義援金額を比較している絵図もありました。(写真10)
とにかくあのときの支援はほんとうに助かりました。
そういえば、今年は能登半島地震のニュースが日々流れていたので、親とも阪神・淡路大震災当時のことを改めて話す機会もあったんですが、僕が震災時に体験して断片的に覚えていたことと現実(両親が覚えていた当時のことと)は微妙にくい違っていたこともいくつかあり、人間の記憶とはあいまいなものだなあとあらためて思いましたね。

写真11
最後は、「人と防災未来センター」の外観に刻まれていた1995の文字を撮ってみました。(写真11)
1995とは1995年のことですね。
ここは展示物のボリュームが多いので、気がつけば長いこと滞在していて、出る頃にはあたりも暗くなっていました。
地図
神戸市中央区脇浜海岸通1
関連リンク:
→ 企画展「関東大震災100年。100年前と今。都市における大災害に備えよう!」の開催について【令和5年9月1 日(金)〜令和6年1月28日(日)】|お知らせ|人と防災未来センター
もうあれから29年が経つんですね。
今年は能登半島地震が1月1日に起こり、甚大な被害状況をニュースで見聞きする日が続き、僕自身、1.17のことを日々思い出すことが多い年初めとなっているような気がします。
そこで今年は、例年続けている震災遺構に訪れるのを一休みして、年始に「人と防災未来センター」に訪れました。
2020年ぶりなので、それほど年月は過ぎていないはずなのですが、能登半島地震の被害状況を思い出しながら、防災館をまわってみると新たな気づきも多かったです。

写真1
館内の常設展示もすこし変わっているところもありましたが、まず気になったのは企画展「関東大震災100年。100年前と今。都市における大災害に備えよう!」でした。(写真1)
100年前に起きた関東大震災の状況を伝えるとともに、阪神・淡路大震災の教訓も生かした関東大震災との比較パネルなども展示されていました。

写真2
会場の様子です。(写真2)
たくさんの写真パネルがありました。

写真3
地震直後の東京・赤坂の街並みを撮影したものらしいです。(写真3)
元は白黒だったようですが、最近カラー化されたそうです。

写真4
こちらはいまでいえば、災害伝言ダイヤル的なもので、増上寺の山門に避難者の情報が掲示されていたところを撮ったものらしいです。(写真4)
昔のお寺はそういう役目もになっていたんでしょうね。
今でいえば市役所とか体育館的な役割も兼ねていたのかもしれないですね。

写真5
こちらは浅草の仲見世通りの震災からしばらくしての様子とのこと。(写真5)
こちらも元は白黒で、最近カラー化されたようです。
なんだかいろいろと考えされられる風景かもですね。

写真6
震度分布図もありました。(写真6)
これをみると湘南あたりが一番揺れが強かったように見えますね。

写真7
こちらは『阪神・淡路大震災の教訓106 「伝える」ダイジェスト・グラフィックス』という常設展示物で、前回訪れたときはなかったものだと思います。(写真7)
106の教訓がわかりやすい絵図(ダイジェスト・グラフィックス)で展示されていました。

写真8
その中から気になったものとして、インフラ系の復旧に要した期間が、阪神・淡路大震災と東日本大震災のときとに比較されて並べられていました。(写真8)
どう捉えるかはみなんさんにお任せします。

写真9
こちらは倒壊家屋の解体処理量についての絵図です。(写真9)
こちらも阪神・淡路大震災と東日本大震災のときとに比較されて並べられていました。
壊れた家々からでたがれきをどうするかも問題ですね。

写真10
過去の各地での災害での義援金額を比較している絵図もありました。(写真10)
とにかくあのときの支援はほんとうに助かりました。
そういえば、今年は能登半島地震のニュースが日々流れていたので、親とも阪神・淡路大震災当時のことを改めて話す機会もあったんですが、僕が震災時に体験して断片的に覚えていたことと現実(両親が覚えていた当時のことと)は微妙にくい違っていたこともいくつかあり、人間の記憶とはあいまいなものだなあとあらためて思いましたね。

写真11
最後は、「人と防災未来センター」の外観に刻まれていた1995の文字を撮ってみました。(写真11)
1995とは1995年のことですね。
ここは展示物のボリュームが多いので、気がつけば長いこと滞在していて、出る頃にはあたりも暗くなっていました。
地図
神戸市中央区脇浜海岸通1
関連リンク:
→ 企画展「関東大震災100年。100年前と今。都市における大災害に備えよう!」の開催について【令和5年9月1 日(金)〜令和6年1月28日(日)】|お知らせ|人と防災未来センター