NO. 514
坂名:旧二枚橋の坂
住所:東京都小金井市東町

今回は、小金井市の「旧二枚橋の坂」について取り上げてみたいと思います。
場所は都立武蔵野公園の北東側にあり、すぐ西隣を西武多摩川線が走っていて、東隣は国際基督教大学の敷地です。
また前に取り上げた「二枚橋の坂【NO.513】」からなら、南東に徒歩1分ほどのところにあります。
最寄駅は西武多摩川線・新小金井駅です。

旧二枚橋の坂【NO.514】1
写真1

まずは坂上あたりの様子です。
車は通れない歩行者用の道となっているようで、独特な雰囲気がありました。
写真1左が国際基督教大学の敷地で、右側が西武多摩川線の線路という立地具合でした。

またすぐそばには「国際基督教大学構内15番遺跡」と書かれた案内板があり、このすぐそばの写真1左の国際基督教大学構内に、後期旧石器時代(約一万年五千〜三万五千年前)の遺跡が発見されたということが書かれてありました。
そんな昔からここには人が住んでいたんですね。

旧二枚橋の坂【NO.514】2
写真2

一気に坂下あたりまでやってきて、坂上方向を見てみました。
ここからの眺めもどこか独特な感じでしたね。

ちなみにここには、坂名の由来などが書かれた坂の碑はありませんでしたが、「続小金井風土記」に『西部多摩川線が敷かれる以前は、坂の中段から東に迂回して二枚橋に通じていた。』とありました。

これは今昔マップの大正6年の西武多摩川線が地図ではじめてでてくる年度の地図をみると、まさに「坂の中段から東に迂回して二枚橋に通じていた」という言葉通りの道路状況でしたね。

なので、前回取り上げた「二枚橋の坂【NO.513】」と今回の坂道は昔はつながっていて、今の「二枚橋の坂【NO.513】」の坂下あたりの道は比較的あたらしい道ということみたいですね。

旧二枚橋の坂【NO.514】3
写真3

最後は、坂名の由来ともなった二枚橋からの野川の眺めです。
手前に見えている陸橋が西武多摩川線ですね。

なお「小金井市の歴史散歩」には、二枚橋のことも触れられていて、一部抜粋するとですね、『江戸時代から小金井と染屋(現府中市)を結ぶ重要な交通路であった。上染屋の名主の息子と小金井村の山守の娘が悲恋の末、野川に身を投げ、その霊が大蛇に姿を変え、幻の橋になって人を惑わし、二枚の橋に見えたことから、または、名主が供養のために大木を挽き割って二枚の橋を造ったことから、二枚橋と呼ばれるようになったという伝説がある。 』なんてことが書かれてありました。
なかなかの地霊というか伝説のやどる橋だったんですね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
東京都小金井市東町

関連リンク:  
→   二枚橋の坂【NO.513】/小金井市東町 - 東京坂道さんぽ
今昔マップ on the web_時系列地形図閲覧サイト_埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)