NO. 507
坂名:辨天坂
住所:東京都稲城市矢野口
今回は稲城市の辨天坂【NO.507】について取り上げてみたいと思います。
場所は京王相模原線・京王よみうりランド駅から東に徒歩5分ほどのところにある穴澤天神社の境内にあります。

写真1
まずは坂上あたりの様子です。(写真1)
奥の階段がそれで、手前には「辨天坂」と書かれた石碑もありました。
「辨天」の呼び方は「べんてん」だと思います。
辨=弁からきているのかもしれないですが、詳しくはわかりませんでしたね。
なおここは前回取り上げた「穴澤天神社への急階段」で取り上げた川筋からの鳥居のある急階段を登ったところの高さと同じレベルでしたね。

写真2
写真1の右側をみると本殿も見えていました。(写真2)
穴澤天神社の由来については入口に案内看板があったので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『当社の主祭神は、少彦名大神を御祀りした社である。創立は孝安天皇4年3月で、後に元禄7年社殿を改修し、菅原道真公を合祀する。例大祭は毎年8月25日で当日は神職山本家に伝わる、武蔵流の指定文化財、江戸の里神楽が奉奏され、又、三頭の獅子と天狗により、神社入口の石段を、舞いながら勇壮に登る、市指定の獅子舞が奉納される。境内には江戸時代の終わり頃に、筆学を業とした原田金陵の功績をたたえて建てられた、市指定文化財の筆塚がある。現在の社殿は昭和六十一年12月に修復した。』
とありました。
孝安天皇4年は紀元前423年ということなので、とんでもない前ということになりますね。
あとは神社入口の石段については、今回の辨天坂【NO.507】のことなのか、前回取り上げた「穴澤天神社への急階段」で取り上げた川筋からの鳥居のある急階段なのか、どちらかはわからないですけど、舞いながら勇壮に登るとあるので、前回取り上げたほうなのかなと。
こればかりは祭りの日に見ないとわかりかねますね。
なお本殿は昭和六十一年12月に修復したとありますが、元々は江戸時代前期(17世紀前期)に建立されたとのこと。
こちらも歴史がありますね。

写真3
階段上からの眺めです。(写真3)
今は整備されていますけど、紀元前423年からある境内なので昔はワイルドな階段だったんでしょうね。

写真4
写真3の階段を下りるとさらに階段がありました。(写真4)
ここも崖地の階段ですね。

写真5
階段下あたりからの様子です。(写真5)
なんとなく昔の雰囲気も残っているような。

写真6
写真5右側には御神水が湧き出ていました。(写真6)
横の看板には「無病息災と長寿を御祈願申し上げます」と書かれてありました。
なおこの湧水は「東京の名湧水57選」にも選ばれているそうです。

写真7
階段下からの眺めです。(写真7)
手前の階段はなんか古そうで、昔からそれほど変わっていなさそうな雰囲気でしたね。
またここにも「辨天坂」と書かれた木碑がありました。
なんだか御利益がありそうな雰囲気満載でした。
なお写真7中央右側には鳥居と祠がありますけど、社号の「穴澤」はこれに由来しているそうですよ。

写真8
もう少し引いて見てみると、やはりここにも鳥居がありました。(写真8)
この背後を三沢川が流れているという具合でしたね。

画像
最後は、江戸名所図会の絵図です。
「谷の口穴澤天神社」と言って、今回の穴澤天神社を描いたものだそうです。
天保7年(1836)頃に長谷川雪旦によって描かれたものとのこと。
左上に本殿の建物が見えていますよね。
ちなみに、この穴澤天神社やジャイアンツ坂(よみうりV通り)【NO.506】がある山は、通称で天神山と呼ばれているそうです。
この記事書くのに調べてたらわかりましたよ。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都稲城市矢野口
関連リンク:
坂名:辨天坂
住所:東京都稲城市矢野口
今回は稲城市の辨天坂【NO.507】について取り上げてみたいと思います。
場所は京王相模原線・京王よみうりランド駅から東に徒歩5分ほどのところにある穴澤天神社の境内にあります。

写真1
まずは坂上あたりの様子です。(写真1)
奥の階段がそれで、手前には「辨天坂」と書かれた石碑もありました。
「辨天」の呼び方は「べんてん」だと思います。
辨=弁からきているのかもしれないですが、詳しくはわかりませんでしたね。
なおここは前回取り上げた「穴澤天神社への急階段」で取り上げた川筋からの鳥居のある急階段を登ったところの高さと同じレベルでしたね。

写真2
写真1の右側をみると本殿も見えていました。(写真2)
穴澤天神社の由来については入口に案内看板があったので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『当社の主祭神は、少彦名大神を御祀りした社である。創立は孝安天皇4年3月で、後に元禄7年社殿を改修し、菅原道真公を合祀する。例大祭は毎年8月25日で当日は神職山本家に伝わる、武蔵流の指定文化財、江戸の里神楽が奉奏され、又、三頭の獅子と天狗により、神社入口の石段を、舞いながら勇壮に登る、市指定の獅子舞が奉納される。境内には江戸時代の終わり頃に、筆学を業とした原田金陵の功績をたたえて建てられた、市指定文化財の筆塚がある。現在の社殿は昭和六十一年12月に修復した。』
とありました。
孝安天皇4年は紀元前423年ということなので、とんでもない前ということになりますね。
あとは神社入口の石段については、今回の辨天坂【NO.507】のことなのか、前回取り上げた「穴澤天神社への急階段」で取り上げた川筋からの鳥居のある急階段なのか、どちらかはわからないですけど、舞いながら勇壮に登るとあるので、前回取り上げたほうなのかなと。
こればかりは祭りの日に見ないとわかりかねますね。
なお本殿は昭和六十一年12月に修復したとありますが、元々は江戸時代前期(17世紀前期)に建立されたとのこと。
こちらも歴史がありますね。

写真3
階段上からの眺めです。(写真3)
今は整備されていますけど、紀元前423年からある境内なので昔はワイルドな階段だったんでしょうね。

写真4
写真3の階段を下りるとさらに階段がありました。(写真4)
ここも崖地の階段ですね。

写真5
階段下あたりからの様子です。(写真5)
なんとなく昔の雰囲気も残っているような。

写真6
写真5右側には御神水が湧き出ていました。(写真6)
横の看板には「無病息災と長寿を御祈願申し上げます」と書かれてありました。
なおこの湧水は「東京の名湧水57選」にも選ばれているそうです。

写真7
階段下からの眺めです。(写真7)
手前の階段はなんか古そうで、昔からそれほど変わっていなさそうな雰囲気でしたね。
またここにも「辨天坂」と書かれた木碑がありました。
なんだか御利益がありそうな雰囲気満載でした。
なお写真7中央右側には鳥居と祠がありますけど、社号の「穴澤」はこれに由来しているそうですよ。

写真8
もう少し引いて見てみると、やはりここにも鳥居がありました。(写真8)
この背後を三沢川が流れているという具合でしたね。

画像
最後は、江戸名所図会の絵図です。
「谷の口穴澤天神社」と言って、今回の穴澤天神社を描いたものだそうです。
天保7年(1836)頃に長谷川雪旦によって描かれたものとのこと。
左上に本殿の建物が見えていますよね。
ちなみに、この穴澤天神社やジャイアンツ坂(よみうりV通り)【NO.506】がある山は、通称で天神山と呼ばれているそうです。
この記事書くのに調べてたらわかりましたよ。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都稲城市矢野口
関連リンク: