NO. 504
坂名:無縁坂、武辺坂
住所:東京都文京区湯島&本郷 +台東区池之端
今回は、文京区の無縁坂について取り上げてみたいと思います。
場所は旧岩崎邸庭園の北側に隣接してあり、不忍池からもすぐで、だいぶ前に取り上げた切通坂【NO.189】からなら北に徒歩4分ほどのところにある坂道です。
最寄り駅は、東京メトロ千代田線・湯島駅です。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。
距離が長いので、高低差はけっこうあるのですが、緩やかな坂道でした。
左側には旧岩崎邸庭園があり、その風情ある石垣が印象的でしたね。
なお旧岩崎邸庭園については、以前にこのブログで取り上げていますので、気になる方は記事最後のリンクからどうぞ。

写真2
中腹あたりから坂下方向を見てみました。
高低差はわかりにくいですけど、右側の石垣をみると傾斜具合なんとなくわかりますかね。
ちなみにここには、写真2でも見えているとおり、坂名の由来が書かれている案内板がありましたので、抜粋させていただくとですね、
『「御府内備考」に、「称仰院前通りより本郷筋へ往来の坂にて、往古 坂上に無縁寺有之候に付 右様相唱候旨申伝・・・」とある。 団子坂(汐見坂とも)に住んだ、森鴎外の作品「雁」の主人公岡田青年の散歩道ということで、多くの人びとに親しまれる坂となった。その「雁」に次のような一節がある。 「岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。・・・」 坂の南側は江戸時代四天王の一人・康政を祖とする榊原式部大輔の中屋敷であった。坂を下ると不忍の池である。
不忍の 池の面にふる春雨に 湯島の台は 今日も見えぬかも
岡 麓(本名三郎:旧本郷金助町生まれ1877〜1951・墓は向丘二丁目高林寺) 』
とありました。
森鴎外の小説「雁」に無縁坂は登場していたんですね。(個人的には読んだような読んでいないようなそんなあやふやな記憶しかないのですが。)
なお江戸東京坂道事典には「この坂道が東京名所の一つとなったのは、いうまでもなく森鴎外の名作「雁」のおかげであり・・・」と書かれてあったり、司馬遼太郎の「街道をゆく37・本郷界隈」でも無縁坂は取り上げられていて、「無縁坂を有名にしたのは「雁」で、医学生岡田が日課のように時を決めてこの坂をくだり、散歩するのである」なんてことが書かれてありましたね。
そんなわけなので、青空文庫に森鴎外の小説「雁」も公開されていたので、坂名の由来に書いてあった部分をもうすこし長めに抜粋しておきますよ。
『 岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。それから松源や雁鍋のある広小路、狭い賑やかな仲町を通って、湯島天神の社内に這入って、陰気な臭橘寺の角を曲がって帰る。しかし仲町を右へ折れて、無縁坂から帰ることもある。これが一つの道筋である。或る時は大学の中を抜けて赤門に出る。鉄門は早く鎖れるので、患者の出入する長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので、今春木町から衝き当る処にある、あの新しい黒い門が出来たのである。赤門を出てから本郷通りを歩いて、粟餅(あわもち)の曲擣をしている店の前を通って、神田明神の境内に這入る。そのころまで目新しかった目金橋へ降りて、柳原の片側町を少し歩く。それからお成道へ戻って、狭い西側の横町のどれかを穿って、矢張(やはり)臭橘寺の前に出る。これが一つの道筋である。これより外の道筋はめったに歩かない。 』
あとは、右側に見せている石垣のことも「雁」では描写されていましたね。
『そのころから無縁坂の南側は岩崎の邸であったが、まだ今のような巍々(ぎぎ)たる土塀で囲ってはなかった。きたない石垣が築いてあって、苔蒸した石と石との間から、歯朶(しだ)や杉菜が覗いていた。あの石垣の上あたりは平地だか、それとも小山のようにでもなっているか、岩崎の邸の中に這入って見たことのない僕は、今でも知らないが、とにかく当時は石垣の上の所に、雑木が生えたい程生えて、育ちたい程育っているのが、往来から根まで見えていて、その根に茂っている草もめったに苅られることがなかった。 』
なるほど。
ただ虚実入り交じっている可能性もあるので、そこのところはまあ、あれですね。

写真3
最後は坂上からの様子など。
すこしカクンと曲がっているのがいい味出してますね。
なお地図的にはこの写真3背後左側に東大病院がありますね。
あと無縁坂といえば、さだまさしさんの作詩・作曲による「無縁坂」(1975年発表)が有名とのことで、spotifyでもあったので聴いてみたところ、たしかに今回の無縁坂がテーマになっているようでしたね。
wikipediaによれば、無縁坂における年老いた母に対する息子の想いを歌った楽曲とのこと。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都文京区湯島&本郷 +台東区池之端
関連リンク:
→ 旧岩崎邸庭園 /台東区池之端 - 東京坂道さんぽ
→ 切通坂【NO.189】 /文京区湯島 - 東京坂道さんぽ
→ 無縁坂 _ 文京区観光協会
→ 雁 (新潮文庫 もー1-1 新潮文庫) [ 森 鴎外 ] - 楽天ブックス
→ 街道をゆく(37)新装版 本郷界隈 (朝日文庫) [ 司馬遼太郎 ] - 楽天ブックス
→ 「 無縁坂」さだまさし -spotify
坂名:無縁坂、武辺坂
住所:東京都文京区湯島&本郷 +台東区池之端
今回は、文京区の無縁坂について取り上げてみたいと思います。
場所は旧岩崎邸庭園の北側に隣接してあり、不忍池からもすぐで、だいぶ前に取り上げた切通坂【NO.189】からなら北に徒歩4分ほどのところにある坂道です。
最寄り駅は、東京メトロ千代田線・湯島駅です。
[坂下あたりの様子と旧岩崎邸庭園]

写真1
まずは坂下あたりの様子など。
距離が長いので、高低差はけっこうあるのですが、緩やかな坂道でした。
左側には旧岩崎邸庭園があり、その風情ある石垣が印象的でしたね。
なお旧岩崎邸庭園については、以前にこのブログで取り上げていますので、気になる方は記事最後のリンクからどうぞ。
[坂名の由来と森鴎外の小説「雁」]

写真2
中腹あたりから坂下方向を見てみました。
高低差はわかりにくいですけど、右側の石垣をみると傾斜具合なんとなくわかりますかね。
ちなみにここには、写真2でも見えているとおり、坂名の由来が書かれている案内板がありましたので、抜粋させていただくとですね、
『「御府内備考」に、「称仰院前通りより本郷筋へ往来の坂にて、往古 坂上に無縁寺有之候に付 右様相唱候旨申伝・・・」とある。 団子坂(汐見坂とも)に住んだ、森鴎外の作品「雁」の主人公岡田青年の散歩道ということで、多くの人びとに親しまれる坂となった。その「雁」に次のような一節がある。 「岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。・・・」 坂の南側は江戸時代四天王の一人・康政を祖とする榊原式部大輔の中屋敷であった。坂を下ると不忍の池である。
不忍の 池の面にふる春雨に 湯島の台は 今日も見えぬかも
岡 麓(本名三郎:旧本郷金助町生まれ1877〜1951・墓は向丘二丁目高林寺) 』
とありました。
森鴎外の小説「雁」に無縁坂は登場していたんですね。(個人的には読んだような読んでいないようなそんなあやふやな記憶しかないのですが。)
なお江戸東京坂道事典には「この坂道が東京名所の一つとなったのは、いうまでもなく森鴎外の名作「雁」のおかげであり・・・」と書かれてあったり、司馬遼太郎の「街道をゆく37・本郷界隈」でも無縁坂は取り上げられていて、「無縁坂を有名にしたのは「雁」で、医学生岡田が日課のように時を決めてこの坂をくだり、散歩するのである」なんてことが書かれてありましたね。
そんなわけなので、青空文庫に森鴎外の小説「雁」も公開されていたので、坂名の由来に書いてあった部分をもうすこし長めに抜粋しておきますよ。
『 岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。それから松源や雁鍋のある広小路、狭い賑やかな仲町を通って、湯島天神の社内に這入って、陰気な臭橘寺の角を曲がって帰る。しかし仲町を右へ折れて、無縁坂から帰ることもある。これが一つの道筋である。或る時は大学の中を抜けて赤門に出る。鉄門は早く鎖れるので、患者の出入する長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので、今春木町から衝き当る処にある、あの新しい黒い門が出来たのである。赤門を出てから本郷通りを歩いて、粟餅(あわもち)の曲擣をしている店の前を通って、神田明神の境内に這入る。そのころまで目新しかった目金橋へ降りて、柳原の片側町を少し歩く。それからお成道へ戻って、狭い西側の横町のどれかを穿って、矢張(やはり)臭橘寺の前に出る。これが一つの道筋である。これより外の道筋はめったに歩かない。 』
あとは、右側に見せている石垣のことも「雁」では描写されていましたね。
『そのころから無縁坂の南側は岩崎の邸であったが、まだ今のような巍々(ぎぎ)たる土塀で囲ってはなかった。きたない石垣が築いてあって、苔蒸した石と石との間から、歯朶(しだ)や杉菜が覗いていた。あの石垣の上あたりは平地だか、それとも小山のようにでもなっているか、岩崎の邸の中に這入って見たことのない僕は、今でも知らないが、とにかく当時は石垣の上の所に、雑木が生えたい程生えて、育ちたい程育っているのが、往来から根まで見えていて、その根に茂っている草もめったに苅られることがなかった。 』
なるほど。
ただ虚実入り交じっている可能性もあるので、そこのところはまあ、あれですね。
[坂道風景とさだまさしさんの「無縁坂」]

写真3
最後は坂上からの様子など。
すこしカクンと曲がっているのがいい味出してますね。
なお地図的にはこの写真3背後左側に東大病院がありますね。
あと無縁坂といえば、さだまさしさんの作詩・作曲による「無縁坂」(1975年発表)が有名とのことで、spotifyでもあったので聴いてみたところ、たしかに今回の無縁坂がテーマになっているようでしたね。
wikipediaによれば、無縁坂における年老いた母に対する息子の想いを歌った楽曲とのこと。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都文京区湯島&本郷 +台東区池之端
関連リンク:
→ 旧岩崎邸庭園 /台東区池之端 - 東京坂道さんぽ
→ 切通坂【NO.189】 /文京区湯島 - 東京坂道さんぽ
→ 無縁坂 _ 文京区観光協会
→ 雁 (新潮文庫 もー1-1 新潮文庫) [ 森 鴎外 ] - 楽天ブックス
→ 街道をゆく(37)新装版 本郷界隈 (朝日文庫) [ 司馬遼太郎 ] - 楽天ブックス
→ 「 無縁坂」さだまさし -spotify