NO. 503
坂名:見返り坂
住所:東京都文京区本郷

今回は文京区の見返り坂について取り上げてみたいと思います。
場所は都営大江戸線・本郷三丁目駅からすぐ北側にあります。
前回取り上げた見送り坂【NO.502】や前に取り上げた菊坂【NO.288】とも繋がっていますね。

見返り坂【NO.503】1+
写真1

まずは坂下あたりの様子など。
勾配が緩すぎてわかりにくいですが、写真1は坂上方向を見ています。(写真1)

さっそくですが、ここには坂名の由来が書かれた案内板がありました。
実は見送り坂【NO.502】と同じものなのですが、いちおう抜粋しておきます。
『「むかし太田道灌の領地の境目なりしといひ伝ふ。その頃追放の者など此処より放せしと・・・・・・いずれのころにかありし、此辺にて大きなる石を堀出せり、是なんかの別れの橋なりしといひ伝へり・・・・・・太田道灌(1432〜86)の頃罪人など此所よりおひはなせしかば、ここよりおのがままに別るるの橋といへる儀なりや」と『改撰江戸志』にある。この前方の本郷通りはややへんこんでいる。むかし、加賀屋敷(現東大構内)から小川が流れ、菊坂の谷にそそいでいた、『新撰東京名所図会』(明治40年刊)には、「勧業場本郷館(注・現文京センター)の辺は、地層やや低く、弓形にへこみを印す、其くぼめる所、一条の小渠、上に橋を架し、別れの橋といひきとぞ」とある。 江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄)で、親類縁者が涙で見送ったから見送り坂。追放された人がふりかえりながら去ったから見返り坂といわれた。 今雑踏の本郷通りに立って500年の歴史の重みを感じる。 』
とありました。

今回の坂道は「追放された人がふりかえりながら去ったから」というのが見返り坂の由来ということになりますね。
そんなわけなので、写真1の背後に見送り坂【NO.502】があるという立地具合でもあります。
前回取り上げた見送り坂【NO.502】も見返してもらうとさらによいかもです。

そして写真1の左背後には菊坂【NO.288】もあるということで、名前のある坂道3つが接している場所という意味でもなかなか珍しいと思われますね。

見返り坂【NO.503】2+
写真2

坂道風景的には傾斜がほぼなく寂しい感じですが、やはり坂名由来のとおり(追放された人がふりかえりながら去ったから、ですね)、坂下あたりにかつてあった別れの橋のほうをみるという意味でも載せてみました。(写真2)

なお昔はもっと傾斜がある坂道だったようなので、さらに郷愁感があったのかもしれないですね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
東京都文京区本郷

関連リンク:  
→   見送り坂【NO.502】/文京区本郷 - 東京坂道さんぽ
→   菊坂【NO.288】、一葉坂【NO.289】、金魚坂【NO.290】/ 文京区 - 東京坂道さんぽ