NO. 502
坂名:見送り坂
住所:東京都文京区本郷

今回は文京区の見送り坂について取り上げてみたいと思います。
場所は都営大江戸線・本郷三丁目駅のほぼ真上から北に下っている坂道です。
前に取り上げた菊坂【NO.288】坂上とも繋がっていますね。

見送り坂【NO.502】1+
写真1

短くてまっすぐな坂道でした。
平坦な道でもうどちらが坂上か坂下かわからない状態ですが(なんとなく傾斜があるので坂下あたりの様子とも言えそうです)、奥に信号があるあたりが、都営大江戸線・本郷三丁目駅という立地具合で、今回の坂道もそこまでですね。
江戸時代はもっと傾斜のある坂道のようでしたが、明治時代の道路改修でいまのような形になったそうです。

この通りは本郷通りとも言われていて、ここから北(写真1の背後方向)に200m弱いったところには東大の赤門があることでも知られていますかね。
また写真1右側は菊坂【NO.288】となっています。

ちなみにここには坂名の由来が書かれた案内板がありました。
(なおこのときは案内板見えていないですけど、いまは、右側下の横断歩道の写真奥の歩道にある街路樹はなくなっていて(驚)、写真1のアングルから見ても案内板は見えるようになっているようですね。)
いつものよう抜粋させていただくとですね、
『「むかし太田道灌の領地の境目なりしといひ伝ふ。その頃追放の者など此処より放せしと・・・・・・いずれのころにかありし、此辺にて大きなる石を堀出せり、是なんかの別れの橋なりしといひ伝へり・・・・・・太田道灌(1432〜86)の頃罪人など此所よりおひはなせしかば、ここよりおのがままに別るるの橋といへる儀なりや」と『改撰江戸志』にある。この前方の本郷通りはややへんこんでいる。むかし、加賀屋敷(現東大構内)から小川が流れ、菊坂の谷にそそいでいた、『新撰東京名所図会』(明治40年刊)には、「勧業場本郷館(注・現文京センター)の辺は、地層やや低く、弓形にへこみを印す、其くぼめる所、一条の小渠、上に橋を架し、別れの橋といひきとぞ」とある。 江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄)で、親類縁者が涙で見送ったから見送り坂。追放された人がふりかえりながら去ったから見返り坂といわれた。 今雑踏の本郷通りに立って500年の歴史の重みを感じる。 』
とありました。

説明で「江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄)で、親類縁者が涙で見送ったから見送り坂。」とあることから、「別れの橋」は写真1でちょうど僕が立っているあたりということになりそうですね。
今回の「見送り坂」= 橋の南側の坂ということですから。
なので、写真1の背後が「見返り坂」ということになりますね。
たしかこの本郷通りは中山道で、江戸時代からあった道で、このあたりがちょうど江戸時代の御府内と御府外の境だったことからこういうエピソードになったのかもしれないですね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
東京都文京区本郷

関連リンク:  
→     菊坂【NO.288】、一葉坂【NO.289】、金魚坂【NO.290】/ 文京区 - 東京坂道さんぽ