NO. 492
坂名:目黒不動女坂、女坂
住所:東京都目黒区下目黒

今回は、目黒区の目黒不動女坂について取り上げてみたいと思います。
場所は瀧泉寺(目黒不動尊)の境内にあり、いわゆる参道の階段です。
最寄り駅でいえば、東急目黒線・不動前駅ですかね。

なおここも、前回取り上げた目黒不動男坂【NO.491】と同様、十数年前に「みちくさ学会」の記事でも取り上げていて、さらにみちくさ学会の電子書籍でも取り上げていますけど、実はブログで告知していなくて(汗)、ナンバリングもしていなかったので、今回は今年再訪問して写真も撮り、先日のブラタモリでは目白不動のことも取り上げていたので、新たに記事にしてみることにしました。

目黒不動女坂【NO.492】1
写真1

坂下あたりの様子です。(写真1)
階段が2つありますけど、今回の女坂は右側奥の階段がそれですね。

写真1の左側に目黒不動男坂【NO.491】があるという立地具合ですね。

ちなみにここには、写真1の右側(今回は写ってないですけど、みちくさ学会の写真のほうには写ってますね)に「女坂 」と書かれた石碑があります。
あとは瀧泉寺(目黒不動尊)の公式HPの境内案内にもこの階段が女坂と書いてありました。

写真1左側には「鷹末の松跡」と書かれた案内板もありましたね。
せっかくなので、一部抜粋させていただくとですね、
『江戸幕府3代将軍徳川家光が寛永(1624〜1644)の頃、目黒不動尊の近くで狩猟中に愛鷹が行方不明になりました。家光が目黒不動別当の実僧という僧に祈らせたところ、鷹はたちまち境内の大きな松の枝に飛び戻ってきました。このことに家光は大いに喜び、この松を「風居の松」と命名したといわれています。 』
とありました。
どうやら、このエピソードが元で徳川家光は不動尊を深く信仰することになったそうですね。

目黒不動女坂【NO.492】2
写真2

写真1左側の階段を上り、坂下方向を見てみました。(写真2)
訪れた日は縁日が開かれていて、その様子がここからでも見えましたね。
どうやら毎月28日に開催されているようですね。

目黒不動女坂【NO.492】3
写真3

写真3の背後にあったお堂を、女坂から見てみました。(写真3)
中には「銅造役の行者倚像」が置かれていました。
区指定文化財にもなっているそうです。
役の行者は奈良時代の山岳修行者で、修験道の祖として崇拝されている人物とのこと。

目黒不動女坂【NO.492】4
写真4

階段はさらに続きます。(写真4)
女坂と名付けられているとおり、カーブが多く、上がるたびに先が見えず、独特な眺めでしたね。

目黒不動女坂【NO.492】5
写真5

坂上あたりまできて、坂下方向を見てみました。(写真5)
写真5左側に大本堂が見えていましたね。(写真は目黒不動男坂【NO.491】のほうにあります。)

なお、この階段がある瀧泉寺については目黒不動男坂【NO.491】の記事の中で取り上げていますので、気になる方はそちらのほうをどうぞ。

目黒不動女坂【NO.492】6
画像1

最後は、江戸名所図会の「目黒不動堂」など。(画像1)
長谷川雪旦によるもので、天保7年(1836)頃に描かれたものです。
190年ほど前の風景ということになりますかね。
絵図中央右側に男坂と女坂も描かれていますよね。

目黒不動女坂【NO.492】7
画像2

最後と書きましたけど、絵図を探してたら、昔の男坂と女坂がよくみえる形で描かれている「目黒不動之図」なる浮世絵も見つけましたよ。(画像2)
著者は国芳で、嘉永6年(1853)頃に描かれたものだそうです。
中央に男坂、右側に女坂が描かれていますよね。

ということで、今回はこんな感じです。

地図
東京都目黒区下目黒

関連リンク:  
→    目黒不動男坂【NO.491】/目黒区下目黒 - 東京坂道さんぽ
→   目黒不動尊
→  みちくさ学会 _ 目黒のパワースポットを上り下りしてみる powered by ライブドアブログ
→  みちくさ学会 研究報告第1集 自宅の近所・通勤通学路にあるもの【電子書籍】[ みちくさ学会 ] by 楽天ブックス