NO. 480
坂名:御殿坂
住所:東京都府中市本町
今回は、府中市の御殿坂について取り上げてみたいと思います。
場所はJR・府中本町駅から東へ徒歩2分ほどのところにあります。
坂道沿いには、「国司館と家康御殿史跡広場」や大國魂神社が隣接しています。

写真1
まずは坂上あたりの様子など。(写真1)
府中街道沿いの坂道で、右にぐぐっとカーブしながら下っている坂道風景は印象的でした。

写真2
写真1の左側(西側)には、大國魂神社の大きな鳥居がありました。(写真2)
ここは大國魂神社の裏側と言ってもいい場所で、奥には駐車場もあるため、主に車が境内に入るためにあるとも言えるかもですね。
なかなかここを車で通るというのは勇気がいるかもですが。
大國魂神社の起源は、第12代景行天皇41年(西暦111年)5月5日大神の託宣に依って造られたものであるとのこと。
源頼朝が正室・政子の安産祈願をしたことでも知られているそうです。

写真3
そして、今回の坂道といえば、この、「国司館と家康御殿史跡広場」ですね。(写真3)
写真1の右側に隣接している広場です。
飛鳥時代から奈良時代前期(今から約1300年から1250年ほど前)の国司館と、江戸時代には徳川家康が鷹狩をする際に宿泊・休息をした府中御殿があった場所なのだそう。
ただ今は昔の建物がほぼなにもなく、だだっ広い広場と国司館の10分の1復元模型が端っこのほうにあるだけでしたね。

写真4
一気に坂下あたりまできて、坂上方向を見てみました。(写真4)
カーブ具合に加えて、右側の妙光院の緑がいい感じで雰囲気を与えていました。
あとは、妙光院の東側には、今日(29日)、天皇皇后両陛下が天皇賞をご覧になるために訪れたということでもニュースになっていた東京競馬場がありますね。
ちなみにこのそばには、坂名の由来が書かれている案内プレートがあったので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『 この坂は、府中街道の一部を成しています。 坂の名は、徳川将軍家の「府中御殿」に由来します。府中御殿は,徳川家康が天正十八年(一五九〇)八月一日に江戸入城ののち、鷹狩りや鮎漁などで府中へきた時に宿泊する所として現在の本町一丁目十四番地に建てられたものです。この府中御殿は、正保三年(一六四六)の府中大火で焼失しています。その後、再建されることはありませんでしたが、地名「御殿下」や坂名として残っています。 』
とありました。
今は「国司館と家康御殿史跡広場」となっている場所にあった府中御殿に由来しているんですね。
そういう意味では、この坂道は徳川家康ゆかりの地であり、坂道とも言えるかもですね。
23区内でも徳川家のくくりでいえば、いろいろでてきますけど、家康くくりでいえば、こういう場所は、ぱっと思い浮かばないので、なかなか珍しいかもしれないですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
東京都府中市本町
関連リンク:
→ 国司館(こくしのたち)と家康御殿史跡広場 国史跡武蔵国府跡(くにしせきむさしこくふあと)国司館地区 東京都府中市ホームページ
→ 由緒・歴史|大國魂神社(東京・府中)
坂名:御殿坂
住所:東京都府中市本町
今回は、府中市の御殿坂について取り上げてみたいと思います。
場所はJR・府中本町駅から東へ徒歩2分ほどのところにあります。
坂道沿いには、「国司館と家康御殿史跡広場」や大國魂神社が隣接しています。

写真1
まずは坂上あたりの様子など。(写真1)
府中街道沿いの坂道で、右にぐぐっとカーブしながら下っている坂道風景は印象的でした。

写真2
写真1の左側(西側)には、大國魂神社の大きな鳥居がありました。(写真2)
ここは大國魂神社の裏側と言ってもいい場所で、奥には駐車場もあるため、主に車が境内に入るためにあるとも言えるかもですね。
なかなかここを車で通るというのは勇気がいるかもですが。
大國魂神社の起源は、第12代景行天皇41年(西暦111年)5月5日大神の託宣に依って造られたものであるとのこと。
源頼朝が正室・政子の安産祈願をしたことでも知られているそうです。

写真3
そして、今回の坂道といえば、この、「国司館と家康御殿史跡広場」ですね。(写真3)
写真1の右側に隣接している広場です。
飛鳥時代から奈良時代前期(今から約1300年から1250年ほど前)の国司館と、江戸時代には徳川家康が鷹狩をする際に宿泊・休息をした府中御殿があった場所なのだそう。
ただ今は昔の建物がほぼなにもなく、だだっ広い広場と国司館の10分の1復元模型が端っこのほうにあるだけでしたね。

写真4
一気に坂下あたりまできて、坂上方向を見てみました。(写真4)
カーブ具合に加えて、右側の妙光院の緑がいい感じで雰囲気を与えていました。
あとは、妙光院の東側には、今日(29日)、天皇皇后両陛下が天皇賞をご覧になるために訪れたということでもニュースになっていた東京競馬場がありますね。
ちなみにこのそばには、坂名の由来が書かれている案内プレートがあったので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『 この坂は、府中街道の一部を成しています。 坂の名は、徳川将軍家の「府中御殿」に由来します。府中御殿は,徳川家康が天正十八年(一五九〇)八月一日に江戸入城ののち、鷹狩りや鮎漁などで府中へきた時に宿泊する所として現在の本町一丁目十四番地に建てられたものです。この府中御殿は、正保三年(一六四六)の府中大火で焼失しています。その後、再建されることはありませんでしたが、地名「御殿下」や坂名として残っています。 』
とありました。
今は「国司館と家康御殿史跡広場」となっている場所にあった府中御殿に由来しているんですね。
そういう意味では、この坂道は徳川家康ゆかりの地であり、坂道とも言えるかもですね。
23区内でも徳川家のくくりでいえば、いろいろでてきますけど、家康くくりでいえば、こういう場所は、ぱっと思い浮かばないので、なかなか珍しいかもしれないですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
東京都府中市本町
関連リンク:
→ 国司館(こくしのたち)と家康御殿史跡広場 国史跡武蔵国府跡(くにしせきむさしこくふあと)国司館地区 東京都府中市ホームページ
→ 由緒・歴史|大國魂神社(東京・府中)