住所:東京都文京区白山

今回は、前回取り上げた蓮華寺坂【NO.477】の坂名の由来ともなっている蓮華寺を訪れてみるといい階段があったので、そのときのことでも。

蓮華寺の男坂?1+
写真1

こちらは、蓮華寺の本堂に向かうための階段です。(写真1)
この背後が白山通りという立地具合ですね。
かなりの段数のある階段でしたね。
3階分くらいの高低差はありそうでした。

ただ昔は違ったようで、写真1にも見えている案内板には、かつての階段まわりのことも書かれていて、一部抜粋するとですね、『境内は、二十八段の石段を昇ると、仁王門があり、第十六世日以上人の代には、大鐘を収める鐘楼堂が建立され、鬱蒼とした樹木に囲まれ、静寂な中に、荘厳さと重厚さを兼ね備えた名刹として存しておりました。 』とありました。
今は仁王門はなく、なんといっても昔は二十八段の石段だったんですね。
いまはその倍くらいは段数ありそうですかね。

蓮華寺の男坂?2+
写真2

階段上からの眺めです。(写真2)
かなりの高低差でした。

ここまでの階段ならば、有名な神社にはよく名付けられている「男坂」と呼んでしまってもいいかもしれないですね。

蓮華寺の男坂?3+
写真3

写真2の背後には本堂がありました。(写真3)
しかもなかなか奇抜なつくりでしたね。ただ調べた限りでは設計した人の名前はわからずでした。

蓮華寺については、蓮華寺坂【NO.477】の記事でも触れましたが、もう一度書いておくとですね、天正15年(1587)高橋図書を開基、安立院日雄を開山として創開した寺院で明治維新までは、塔頭が六院あったそうです。また江戸時代は規模の大きなお寺だったようで、5200余坪の寺領を有していたそうです。

さらに蓮華寺の公式HPによれば、徳川三代将軍家光とも縁があったそうで、HPに書かれていた部分を抜粋させていただくとですね、『 江戸時代・徳川三代将軍家光公は、この白山の地を選ばれ、しばしば鷹狩りに来られました。家光公は当山境内の古井戸(別名・鑑の井戸)から滾々と涌き出る清水を大層お気に召され、楽しまれた様子が伺えます。その折り、現在の本堂前の木槲をお手植えになられ、その樹木にお釈迦さまの石像を安置されたと記述されております。あるとき家光公は、歯が傷み泣きじゃくる少女に出会った際、前述の清水をお稲荷様に捧げ少女の口に含ませましたところ、その傷みはたちどころに癒え、この評判は町中にひろまり、多くの参詣者で賑わいを見せました。』とありました。

蓮華寺の男坂?4+
写真4

最後は、境内から華寺の北側にある蓮華寺坂【NO.477】へと向かう道もありました。(写真4)
しかもけっこうな坂道になっていましたね。
そういう意味では、ここは「女坂」と言えるかもしれないですね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
東京都文京区白山

関連リンク:  
→  蓮華寺坂【NO.477】/文京区白山 - 東京坂道さんぽ
→  本松山 蓮華寺|日蓮宗 寺院ページ