NO. 473
坂名:浄心寺坂
住所:東京都文京区白山

今回は文京区の浄心寺坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、都営三田線・白山駅のすぐ南側にあり、徒歩でいえば1分もかからない場所にあります。
前回取り上げた胸突坂【NO.472】からなら北に徒歩3分ほどのところにあります。

浄心寺坂【NO.473】1++
写真1

まずは坂下あたりの様子など。 (写真1)
高低差はけっこうありそうでしたが、距離は長めなので傾斜はそれほどきついという感じではなかったです。

訪れたときはたしか工事中で、すでに移転されてなかったので気が付かなったのですが、このすぐ左側には「八百屋お七の墓」があったようですね。

このブログもリンクしてくださっている「東京23区の坂道」の写真では立派なお堂や案内看板もあったようですね。
今は地図でみると写真1の左側からさらに北に50mほど行った圓乘寺境内にあるようですね。

八百屋お七については、コトバンクや文京区のHPにも載っていました。
恥ずかしながらお七の話は知らなかったので、勉強がてら文京区のHPの説明を一部抜粋させていただくとですね、
『井原西鶴の名作『好色五人女』などで有名なお七(1668〜1683)の墓がある。お七の生家は駒込片町(一説によると本郷追分とも)の有数な八百屋であった。天和2年(1682)12月の天和の大火で家が焼け、菩提寺の円乗寺に避難したが、避難中に円乗寺の小姓山田佐兵衛と恋仲になった。やがて家は再建され戻ったが佐兵衛会いたさに付け火をした。放火の大罪で捕らえられたお七は、天和3年3月火あぶりの刑にされた。』
とありました。
要は井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで、お七の放火にまで至った大恋愛の話は有名になり、この地も知られるようになったということですかね。

浄心寺坂【NO.473】2+
写真2

坂上あたりの様子です。 (写真2)
新しい建物があるにもかかわらずどこか風情のある坂道風景でしたね。

ちなみにここには、写真2でも見えているとおり、坂名の由来が書かれた案内板があったので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『「小石川指ヶ谷町より白山前町を経て東の方、本郷駒込東片町へ登る坂あり。浄心寺坂といふ」(新撰東京名所図会)浄心寺近くの坂なので、この名がついた。また、坂下に「八百屋於七」の墓所円乗寺があることから「於七坂」の別名もある。 』
とありました。

坂名の由来になった浄心寺は、今もあって、ここから北東(写真2の背後)に300mほどの場所にありますね。
ただ坂道的にはつながっていなくて、かなり迂回していかないとたどり着けない位置関係なので、この浄心寺由来は謎ですね。
昔はつながっていたのかなと思い、古地図も見てみましたけど、ちょっとわからなかったですね。
そういう意味では、別名の「於七坂」は立地具合からしてもわかりやすいですね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
東京都文京区白山

関連リンク:  
→ 胸突坂【NO.472】/文京区西片+白山 - 東京坂道さんぽ
→ 文京区 浄心寺坂(じょうしんじざか)
→ 文京区 円乗寺(えんじょうじ)