NO. 468
坂名:新坂
住所:東京都文京区本郷6
今回は、文京区の新坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、東京大学のすぐ西側にあり、前に取り上げた菊坂【NO.288】もすぐ近くにある坂道です。
最寄り駅の都営三田線・春日駅からなら東へ徒歩4分ほどのところにあります。

写真1
まずは坂下あたりの様子です。 (写真1)
一方通行の標識もあるとおり、車一台が通れるほどの幅の狭い急坂でした。

写真2
中腹あたりから坂上方向を見てみました。 (写真2)
坂上から坂下まで幅の狭い道でしたね。
ちなみにここには、写真2の右側にも見えているとおり、坂名の由来が書かれた案内板があったので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『区内にある新坂と呼ばれる六つの坂の一つ。『御府内備考』に、「映世神社々領を南西に通ずる一路あり、其窮る所、坂あり、谷に下る、新坂といふ」とある。名前は新坂だが、江戸時代にひらかれた古い坂である。 このあたりは、もと森川町と呼ばれ、金田一京助の世話で、石川啄木が、一時移り住んだ蓋平館別荘(現太栄館)をはじめ、高等下宿が多く、二葉亭四迷、尾崎紅葉、徳田秋声など、文人が多く住んだ。この坂は、文人の逍遥の道でもあったと思われる。 』
とありました。
新坂だけど、古い坂道なんですね。
逍遥の道とは、今でならそぞろ歩きの道という感じですかね。

写真3
坂上あたりの様子です。 (写真3)
ここからみると高低差感もわかりやすいですね。
建物3階分くらいですかね。
なお写真3の右側は、今はマンションになりましたが、その前までは、坂名由来の案内板でも触れられていた「蓋平館別荘(現太栄館)」があったそうです。
さらに坂上側に歩くと、マンションの入り口そばには、ここに以前からあった「石川啄木由縁之宿」の石碑と「石川啄木ゆかりの蓋平館別荘跡」の標識がそのまま残されているようですね。
まさに石川啄木ゆかりの地なんですね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都文京区本郷6
関連リンク:
→ 菊坂【NO.288】、一葉坂【NO.289】、金魚坂【NO.290】/ 文京区 - 東京坂道さんぽ
→ 石川啄木 (新潮文庫) [ ドナルド・キーン ] /楽天ブックス
坂名:新坂
住所:東京都文京区本郷6
今回は、文京区の新坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、東京大学のすぐ西側にあり、前に取り上げた菊坂【NO.288】もすぐ近くにある坂道です。
最寄り駅の都営三田線・春日駅からなら東へ徒歩4分ほどのところにあります。

写真1
まずは坂下あたりの様子です。 (写真1)
一方通行の標識もあるとおり、車一台が通れるほどの幅の狭い急坂でした。

写真2
中腹あたりから坂上方向を見てみました。 (写真2)
坂上から坂下まで幅の狭い道でしたね。
ちなみにここには、写真2の右側にも見えているとおり、坂名の由来が書かれた案内板があったので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『区内にある新坂と呼ばれる六つの坂の一つ。『御府内備考』に、「映世神社々領を南西に通ずる一路あり、其窮る所、坂あり、谷に下る、新坂といふ」とある。名前は新坂だが、江戸時代にひらかれた古い坂である。 このあたりは、もと森川町と呼ばれ、金田一京助の世話で、石川啄木が、一時移り住んだ蓋平館別荘(現太栄館)をはじめ、高等下宿が多く、二葉亭四迷、尾崎紅葉、徳田秋声など、文人が多く住んだ。この坂は、文人の逍遥の道でもあったと思われる。 』
とありました。
新坂だけど、古い坂道なんですね。
逍遥の道とは、今でならそぞろ歩きの道という感じですかね。

写真3
坂上あたりの様子です。 (写真3)
ここからみると高低差感もわかりやすいですね。
建物3階分くらいですかね。
なお写真3の右側は、今はマンションになりましたが、その前までは、坂名由来の案内板でも触れられていた「蓋平館別荘(現太栄館)」があったそうです。
さらに坂上側に歩くと、マンションの入り口そばには、ここに以前からあった「石川啄木由縁之宿」の石碑と「石川啄木ゆかりの蓋平館別荘跡」の標識がそのまま残されているようですね。
まさに石川啄木ゆかりの地なんですね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
東京都文京区本郷6
関連リンク:
→ 菊坂【NO.288】、一葉坂【NO.289】、金魚坂【NO.290】/ 文京区 - 東京坂道さんぽ
→ 石川啄木 (新潮文庫) [ ドナルド・キーン ] /楽天ブックス