住所:京都府京都市東山区鷲尾町+祇園町南側
前に取り上げた台所坂【NO.461】ともつながっている「ねねの道」、平坦な道のイメージありますけど、実は坂道になっているところもあったので、そのあたりから話を広げてみたいと思います。
写真1
ねねの道は、円山公園と高台寺の間を通っている道で、おおむね平坦なんですけど、写真1のところはそれなりに坂道になっていましたね。 (写真1)
そんなわけでぱちりと。(^^)
ねねの道は南北に長い道なんですけど、ここだけ唯一東西に走っている場所で、ここから150mほど南(写真1でいえば右側)には台所坂【NO.461】も並行してあるという立地具合のわりに、この高低差のなさというのはなんだか不思議な感じでしたね。
(すなわち高台寺の部分だけ高台になっているということなんですけどね。)
ちなみに、ねねの道の”ねね”は、北政所(豊臣秀吉の正室)のねね由来ですね。
これは台所坂【NO.461】でもふれましたけど、この道沿いでねねが晩年暮らしたからということみたいです。
ただ以前は、高台寺道と呼ばれていて、道路自体は昔からあったようですが、今のように電線が地中化されきれいな石畳の道になったのは1998年からとのこと。
写真2
だいたい同じ位置から坂下方向を見ると、大雲院の境内にある祇園閣も見えていました。 (写真2)
大雲院は天正15年(1587)に織田信長・信忠父子の菩提を弔うために創建された寺院で、祇園閣は、大倉喜八郎の依頼により、伊東忠太が設計し1927年に完成した普請道楽ですね。
ねねの道についてはまだまだいろいろとありますけどとりあえずこれくらいにして、またいつかこのブログか違う場所で続きでも書いてみたいと思っています。
ということで、現在、ちょうど大河ドラマ「どうする家康」でもねね(寧々)が登場していることもあり、けっこう前の写真での紹介となりましたが、取り上げてみることにしました。
地図
京都府京都市東山区鷲尾町+祇園町南側
関連リンク:
→ 台所坂【NO.461】/京都市東山区下河原町 - 東京坂道さんぽ
→ 高台寺公園の眺望階段 /京都市東山区下河原町 - 東京坂道さんぽ
前に取り上げた台所坂【NO.461】ともつながっている「ねねの道」、平坦な道のイメージありますけど、実は坂道になっているところもあったので、そのあたりから話を広げてみたいと思います。
写真1
ねねの道は、円山公園と高台寺の間を通っている道で、おおむね平坦なんですけど、写真1のところはそれなりに坂道になっていましたね。 (写真1)
そんなわけでぱちりと。(^^)
ねねの道は南北に長い道なんですけど、ここだけ唯一東西に走っている場所で、ここから150mほど南(写真1でいえば右側)には台所坂【NO.461】も並行してあるという立地具合のわりに、この高低差のなさというのはなんだか不思議な感じでしたね。
(すなわち高台寺の部分だけ高台になっているということなんですけどね。)
ちなみに、ねねの道の”ねね”は、北政所(豊臣秀吉の正室)のねね由来ですね。
これは台所坂【NO.461】でもふれましたけど、この道沿いでねねが晩年暮らしたからということみたいです。
ただ以前は、高台寺道と呼ばれていて、道路自体は昔からあったようですが、今のように電線が地中化されきれいな石畳の道になったのは1998年からとのこと。
写真2
だいたい同じ位置から坂下方向を見ると、大雲院の境内にある祇園閣も見えていました。 (写真2)
大雲院は天正15年(1587)に織田信長・信忠父子の菩提を弔うために創建された寺院で、祇園閣は、大倉喜八郎の依頼により、伊東忠太が設計し1927年に完成した普請道楽ですね。
ねねの道についてはまだまだいろいろとありますけどとりあえずこれくらいにして、またいつかこのブログか違う場所で続きでも書いてみたいと思っています。
ということで、現在、ちょうど大河ドラマ「どうする家康」でもねね(寧々)が登場していることもあり、けっこう前の写真での紹介となりましたが、取り上げてみることにしました。
地図
京都府京都市東山区鷲尾町+祇園町南側
関連リンク:
→ 台所坂【NO.461】/京都市東山区下河原町 - 東京坂道さんぽ
→ 高台寺公園の眺望階段 /京都市東山区下河原町 - 東京坂道さんぽ