NO. 457
坂名:ほくちや坂 
住所:大阪府大阪市中央区上町+法円坂

今回は大阪市の「ほくちや坂」について取り上げてみたいと思います。
場所は前に取り上げた「かぎや坂【NO.456】」から南に徒歩3分ほどのところにあり、最寄り駅でいえば、大阪メトロ・玉造駅です。

ほくちや坂【NO.457】1+
写真1

まずは坂下あたりの様子です。 (写真1)
緩やかな坂道でした。

どうやらここも古くからある坂道のようですね。

ちなみに現地には坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでした。
ただ由来については、いくつかの文献で同じことが書かれているようで、それによるとこの近くに伊勢屋と云う火口(ホクチ)商がいたことにちなむとのこと。
(「ほくち(火口)」とは、goo辞書によれば「火打ち石で発火させた火を移し取るもの。麻やイチビの茎を焼いた炭、また茅花やパンヤに焔硝を加えたものが用いられた。」とのこと。)

ほくちや坂【NO.457】2+
写真2

中腹あたりから、坂下方向を見てみました。 (写真2)
このときは、中央右側に奇妙な煙突のような塔のような建物が府営住宅内にありましたね。
かなり異彩を放っていました。
ただこの建物、すでに無くなってしまったみたいで、今は保育園になっているようですね。

ほくちや坂【NO.457】3+
写真3

最後は坂上あたりの様子です。 (写真3)
緩やかすぎてどちらが坂上方向なのかわかりにくいですけど、写真3でいえば奥が西側なので、さらに坂上方向を見ているというばわかりやすいですかね。

なお坂上あたりには、難波宮跡(難波宮跡公園)が隣接していました。 (写真3でいえば、ローソン(今はないみたいですが)の看板の向こうの柵があるあたりですね。)
難波宮は飛鳥から奈良時代に、難波に造営された宮殿遺跡ですね。
大阪市のHPにも記載があり、そのまま抜粋するとですね、「難波宮は、『日本書紀』に記された大化元年(645)12月の難波遷都から長岡京に遷都された延暦 3 年(784)頃まで約150年間、首都あるいは副都として、我が国の古代史上に大きな役割を果たした宮殿遺跡である。」とありました。

ちなみに難波宮跡公園は、大阪万博に向けて現在、リニューアル中とのことみたいですね。
内容についてあまり詳しく書くと、坂道とはかけ離れてしまうので、これ以上のことは関連リンクにメモしておきますので、よかったら。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図:大阪府大阪市中央区上町+法円坂


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