NO. 455
坂名:雁木坂
住所:大阪府大阪市中央区大阪城
今回は、大阪市の雁木(がんぎ)坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、大阪城内にあります。
写真1
まずは坂下あたりの様子など。 (写真1)
左側が大阪城・梅林で、右側が内堀という場所ですね。
写真2
内堀と石垣の様子です。 (写真2)
さすがに立派な石垣でしたね。
おそらく国内でも1、2位を争う高さの石垣だったんじゃないですかね。
そして様々な歴史上の舞台となった場所ですし、ここでどれくらいの人々が亡くなったのかと想像していると冷や汗もでてきましたが(子供みたいな感想ですが、現地では実際このことを想像して寒気がした記憶が今でも残っているので、汗)、それも含めてのこの場所なのだなあと、いろいろと引き込まれないように気持ちを戻すなど。
写真3
途中、観光関連のエレクトリックカーが坂道を走って行きましたね。 (写真3)
なかなか興味深い風景でした。
写真4
中腹あたりからの様子です。 (写真4)
さすがにきれいに整備されていますね。
ちなみにここには、坂名の由来が書かれた案内板があり、そのまま抜粋させていただくとですね、
『大阪城の本丸を取り囲む二の丸は北が低く、内堀の東にあたるこの通路は南から北にかけて急な下り坂となっている。江戸時代ここは長い石段(雁木)だったことから雁木坂とよばれ、坂を上りきった所には上部に部屋を持つ雁木坂門があり、脇には通行を監視するための番所が置かれた。明治維新以後の陸軍管轄時代にはダラダラ坂とも呼ばれた。現在、盛土によって坂の勾配はゆるやかになっている。 』
とありました。
江戸時代は石段だったんですね。
しかも、階段が盛土される前は「ダラダラ坂」とも呼ばれたとすれば、緩やかな傾斜の階段坂だったのかもしれないですね。
それはそれで優雅な階段坂道の景色でよかったのかもしれないですけどね。
秀吉やら家康やらも歩いたかもしれないですしね。
写真5
坂上あたりからの眺めです。(写真5)
こうしてみるとけっこうな高低差ありますね。
大阪城は台地北端に立地していて、この坂道は北に向かって下っているので、やはりこのあたりが大地の北端でありキワなのでしょうね。
写真6
最後は、写真5の左側にも見えていた天守閣など。 (写真6)
坂名自体は歴史のことはほぼ触れず形状由来でしたけど、とにかく歩きながらいろんなことを想像してしまう坂道ではありましたね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図 :大阪府大阪市中央区大阪城
関連リンク:
坂名:雁木坂
住所:大阪府大阪市中央区大阪城
今回は、大阪市の雁木(がんぎ)坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、大阪城内にあります。
写真1
まずは坂下あたりの様子など。 (写真1)
左側が大阪城・梅林で、右側が内堀という場所ですね。
写真2
内堀と石垣の様子です。 (写真2)
さすがに立派な石垣でしたね。
おそらく国内でも1、2位を争う高さの石垣だったんじゃないですかね。
そして様々な歴史上の舞台となった場所ですし、ここでどれくらいの人々が亡くなったのかと想像していると冷や汗もでてきましたが(子供みたいな感想ですが、現地では実際このことを想像して寒気がした記憶が今でも残っているので、汗)、それも含めてのこの場所なのだなあと、いろいろと引き込まれないように気持ちを戻すなど。
写真3
途中、観光関連のエレクトリックカーが坂道を走って行きましたね。 (写真3)
なかなか興味深い風景でした。
写真4
中腹あたりからの様子です。 (写真4)
さすがにきれいに整備されていますね。
ちなみにここには、坂名の由来が書かれた案内板があり、そのまま抜粋させていただくとですね、
『大阪城の本丸を取り囲む二の丸は北が低く、内堀の東にあたるこの通路は南から北にかけて急な下り坂となっている。江戸時代ここは長い石段(雁木)だったことから雁木坂とよばれ、坂を上りきった所には上部に部屋を持つ雁木坂門があり、脇には通行を監視するための番所が置かれた。明治維新以後の陸軍管轄時代にはダラダラ坂とも呼ばれた。現在、盛土によって坂の勾配はゆるやかになっている。 』
とありました。
江戸時代は石段だったんですね。
しかも、階段が盛土される前は「ダラダラ坂」とも呼ばれたとすれば、緩やかな傾斜の階段坂だったのかもしれないですね。
それはそれで優雅な階段坂道の景色でよかったのかもしれないですけどね。
秀吉やら家康やらも歩いたかもしれないですしね。
写真5
坂上あたりからの眺めです。(写真5)
こうしてみるとけっこうな高低差ありますね。
大阪城は台地北端に立地していて、この坂道は北に向かって下っているので、やはりこのあたりが大地の北端でありキワなのでしょうね。
写真6
最後は、写真5の左側にも見えていた天守閣など。 (写真6)
坂名自体は歴史のことはほぼ触れず形状由来でしたけど、とにかく歩きながらいろんなことを想像してしまう坂道ではありましたね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図 :大阪府大阪市中央区大阪城
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