NO. 454
坂名:だるま坂
住所:兵庫県神戸市灘区岩屋中町
今回は、神戸市のだるま坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、前回取り上げた三味線坂【NO.453】から東へ徒歩1分もかからない場所にあり、龍泉寺に隣接している坂道です。
最寄り駅でいえば、阪神電車・岩屋駅が近いです。
写真1
まずは坂上あたりからの様子など。 (写真1)
住宅街の坂道といった感じでしたね。
高低差はけっこうありそうでした。
写真2
中腹あたりに龍泉寺が隣接していて、坂道側には、なにやらわらわらと石仏がおられましたね。 (写真2)
なかなかの迫力でした。
写真3
すこし下ると、龍泉寺の建物も見えていました。 (写真3)
公式HPなどはなく、どうしたものかと思っていたら「ぶらり散歩路」というブログ( http://buraburasanpo333.blog86.fc2.com/blog-entry-384.html )に、灘百選からの引用という形で、龍泉寺の由緒についてふられていたので、そこを抜粋させていただくとですね、
『山号は敏馬山で、永源寺末の臨済宗です。本尊は薬師如来。聖徳太子が開基したと伝えられています。もともとは敏馬神社の神宮寺で境内にありましたが、明治元年の神仏分離令により寺は独立、しかし当時は寺勢がひどく衰えていました。そこで明治3年、永源寺派の管長万松関老大師が見回りにきて、弟子の雄峰が復興しました。』
とありました。
なぜここまで龍泉寺にこだわったかというとですね、この坂道の坂名の由来と関係していまして、灘区役所発行の広報誌「なだだな」に、『敏岩屋・龍泉寺前の坂。境内から坂を見守るだるまから名付けられた。摩耶山への古い参詣道の一つで「まやみち」の道標がある。 』とあったからですね。
写真4
最後は坂下あたりの様子です。 (写真4)
建物2階半くらいの高低差ですかね。
でもなんだかそれ以上の急坂に見えますね。
ちなみに坂名の由来で「摩耶山への古い参詣道の一つで「まやみち」の道標がある。」とありましたが、その道標、現地では気が付かなったのですが、写真4を拡大して見てみると、写真中央左の白い塀の下の部分になにやら石碑が見えていて、それっぽい文字がきざまれているんですよね。
はてさて、どうなんでしょうね。
あとは摩耶山への古い参詣道ということで、いつもの今昔マップも見てみると、一番古い明治43年の地図にもこの道は記載があるので、記述のとおりかなり古い道というか坂道なのでしょうね。
そしてこの写真4の背後はかつて海だったようですね。
今は道幅の広い国道ですけど。
そういう意味では、この坂道の別名を「潮見坂」なんてつけてみるとロマンがあっていいかもしれないですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
神戸市灘区岩屋中町
関連リンク:
→ 神戸市灘区:灘百選
→ 今昔マップ on the web/時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)
→ 三味線坂【NO.453】/神戸市灘区岩屋中町 - 東京坂道さんぽ
坂名:だるま坂
住所:兵庫県神戸市灘区岩屋中町
今回は、神戸市のだるま坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、前回取り上げた三味線坂【NO.453】から東へ徒歩1分もかからない場所にあり、龍泉寺に隣接している坂道です。
最寄り駅でいえば、阪神電車・岩屋駅が近いです。
写真1
まずは坂上あたりからの様子など。 (写真1)
住宅街の坂道といった感じでしたね。
高低差はけっこうありそうでした。
写真2
中腹あたりに龍泉寺が隣接していて、坂道側には、なにやらわらわらと石仏がおられましたね。 (写真2)
なかなかの迫力でした。
写真3
すこし下ると、龍泉寺の建物も見えていました。 (写真3)
公式HPなどはなく、どうしたものかと思っていたら「ぶらり散歩路」というブログ( http://buraburasanpo333.blog86.fc2.com/blog-entry-384.html )に、灘百選からの引用という形で、龍泉寺の由緒についてふられていたので、そこを抜粋させていただくとですね、
『山号は敏馬山で、永源寺末の臨済宗です。本尊は薬師如来。聖徳太子が開基したと伝えられています。もともとは敏馬神社の神宮寺で境内にありましたが、明治元年の神仏分離令により寺は独立、しかし当時は寺勢がひどく衰えていました。そこで明治3年、永源寺派の管長万松関老大師が見回りにきて、弟子の雄峰が復興しました。』
とありました。
なぜここまで龍泉寺にこだわったかというとですね、この坂道の坂名の由来と関係していまして、灘区役所発行の広報誌「なだだな」に、『敏岩屋・龍泉寺前の坂。境内から坂を見守るだるまから名付けられた。摩耶山への古い参詣道の一つで「まやみち」の道標がある。 』とあったからですね。
写真4
最後は坂下あたりの様子です。 (写真4)
建物2階半くらいの高低差ですかね。
でもなんだかそれ以上の急坂に見えますね。
ちなみに坂名の由来で「摩耶山への古い参詣道の一つで「まやみち」の道標がある。」とありましたが、その道標、現地では気が付かなったのですが、写真4を拡大して見てみると、写真中央左の白い塀の下の部分になにやら石碑が見えていて、それっぽい文字がきざまれているんですよね。
はてさて、どうなんでしょうね。
あとは摩耶山への古い参詣道ということで、いつもの今昔マップも見てみると、一番古い明治43年の地図にもこの道は記載があるので、記述のとおりかなり古い道というか坂道なのでしょうね。
そしてこの写真4の背後はかつて海だったようですね。
今は道幅の広い国道ですけど。
そういう意味では、この坂道の別名を「潮見坂」なんてつけてみるとロマンがあっていいかもしれないですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
神戸市灘区岩屋中町
関連リンク:
→ 神戸市灘区:灘百選
→ 今昔マップ on the web/時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)
→ 三味線坂【NO.453】/神戸市灘区岩屋中町 - 東京坂道さんぽ