今回は港区の亀塚公園内にある亀塚を訪れたときのことなど。

亀塚と太田道灌・物見台への階段1+
写真1

亀塚公園は聖坂【NO.300】の坂上あたり隣接している公園で、そんなこともあり坂道散歩とあわせてぶらりとしていると、気になる階段がありました。(やはりそっちですね。(^^))  (写真1)

見た目は小山で、階段下には「亀塚」と書かれた案内看板がありましたね。
長いので要約すると、ここは平安時代に書かれた「更科日記」に見える竹芝寺の伝説地としても伝えられていて、文明年間(1469〜87年)には、大田道灌が斥候(ものみ)を置いたとも伝えられている場所らしいです。
また古墳だったのでは?という話もあるようですが、いまのところ断定されていないようですね。

こんな小山にそんな歴史があったとは、という感じでしたね。
ちなみに斥候(せっこう)とは、辞書には「敵の状況や地形などを探ること。」とあり、現地の説明には「斥候(ものみ)を置いた」と書いているので、物見台のことでしょうね。

亀塚と太田道灌・物見台への階段2 +
写真2

階段を上りきり、階段下方向を見てみました。 (写真2)
たしかに物見台としても問題ない高さでしたね。

そして、現地ではなぜここに階段があるのかなと思い、広域で地図を見てみると、予想通りというべきか、ちょうど写真2の正面奥の遠くには富士山があるので、もし大田道灌が物見台を置いたころも今と同じ場所に階段があったならば、ここから富士山も見えたかもしれないですね。

亀塚と太田道灌・物見台への階段3+
写真3

最後は、写真2のそばには、大きな石もありました。 (写真3)
亀山碑というらしいです。
隣には案内板もあったので、そのまま抜粋しておきますよ。
『亀山碑は、ここ亀塚の頂部にある幅2.2m、高さ1.4mの石碑で、上野国沼田城主土岐頼熈によって寛延3年(1750)に建てられたものです。土岐家は、明暦3年(1657)にこの地を下屋敷として拝領しました。詩文に秀でた大名といわれた頼熈は、この地が「更級日記」の竹芝寺伝説の地であることや塚の頂部に酒壷があり、ここに出入りする亀を神と崇めていたが一夜の風雨で酒壷の亀が石になったという伝説に興味を持ち、そうした由来を伝えるためにこの碑を建立したと考えられています。大名屋敷に建立された石碑としても貴重なものです。 』
なるほど。
なんとも興味深い石だったんですね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
港区三田

関連リンク:  
→ 聖坂【NO.300】その2 /港区三田 /かつては月見の名所 - 東京坂道さんぽ