これまでに公開した港区三田界隈の坂道写真を整理していていたら、とある一枚からいろいろと聖坂について、さらにわかったことがありましたよ。

聖坂【NO.300】その2-1+
写真1

聖坂【NO.300】の坂上あたりの写真です。 (写真1)
前回取り上げた幽霊坂【NO.451】の坂上あたりが写真1の右側にあるという立地具合で、道路向かいの立派な塀は亀塚公園のものですね。

なお道路向かいの立派な塀はけっこう歴史的にも価値があったと思うのですが、今回さらりと調べた感じではわからなかったので、またきちんと調べておきますよ。
聖坂【NO.300】沿いにあるわけでもあるので。

聖坂【NO.300】その2-2+
写真2

そして、写真1の真ん中にも見えているんですけど、よくある界隈の散歩ルートを紹介している案内板があり、そこになかなか興味深い内容と図絵が掲載されていたので、ぱちりと。 (写真2)

写真だけでは読みにくいでの、そのまま抜粋するとですね
『坂と洋館   三田一帯は、多くの坂に縁どられた高台の上にあり、江戸時代には武家地・寺社地となっていた。見はらしが良く静かなこのあたりは、また江戸市民の行楽地としても知られ、ことに聖坂から伊皿子あたりにかけては”月の岬”と称される月見所として名を馳せた。
維新後、武士にかわって華族や政府高官たちがここに住み、また、諸外国の公使館や学校が楽まった。慶應義塾三田演説館や三井便楽部、旧須賀邸など、数々の洋館が建てられ、この界わいの特徴となった。 』
とありました。

ここで気になったのは、「見はらしが良く静かなこのあたりは、また江戸市民の行楽地としても知られ、ことに聖坂から伊皿子あたりにかけては”月の岬”と称される月見所として名を馳せた。」という部分ですね。

このあたりは見はらしがいい行楽地だったんですね。
しかも”月の岬”と称される月見の名所としても有名だったとか。

そういう意味では、写真1の奥にある亀塚公園で、お月見(十五夜、2023年はちょうど1ヶ月後だそうです)をするのも悪くないかもしれないですね。
かつてここから見えたまち並みと海と月を想像しながら。

聖坂【NO.300】その2-3+
写真3

写真2では小さすぎてみにくいので拡大してみました。
新選東京名所図会の「芝三田聖坂ヨリ銀座通リヲ望ム」という絵だそうです。(ネットでカラーのものないか探してみましたけど、この絵だけはなかったですね。)

坂上からの眺めを描いたもののようですね。
とにかく昔の聖坂は行楽地ということもあり、人通りも多かったんでしょうね。

聖坂【NO.300】その2-4+
画像

最後は江戸名所図会でもかつての聖坂が描かれていたので、この機会に紹介しておきます。
奥が海で絵の中央にあるのが今もある済海寺のようですね。
なので亀塚公園は済海寺の南西隣にあるので、江戸名所図会でいえば済海寺の左側になるんですかね。
たしかに海方面は開けていて、景色はよさそうですね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
港区三田

関連リンク:  
→ 潮見坂【NO.299】&聖坂【NO.300】/港区三田 - 東京坂道さんぽ
→ 幽霊坂【NO.451】/港区三田 - 東京坂道さんぽ