今回は、杉並区の道灌坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、前に取り上げた茅坂【NO.444】から西へ徒歩1分もかからない場所にあり、最寄り駅でいえば、西武新宿線・上井草駅が近いです。

道灌坂【NO.444】1+
写真1

まずは坂下あたりからの様子です。 (写真1)
まっすぐな坂道でしたね。

ちなみにここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はなかったのですが、上井草商店街振興組合による「かみいぐさ碁盤坂MAP」に記載があり、かつて豊臣氏のと戦で大田道灌軍がこの地に駐屯したことから道灌坂と名付けられたとありました。
なお坂名をつけられたのは2011年頃のことのようで、これは2011年に上井草地区にある坂道の名前を公募し、そのあと坂道の名前が決まってから地図(かみいぐさ碁盤坂MAP)を発行したという経緯があるみたいですね。(このあたりの坂道はすべてこの経緯ですが、ふれないのも変なので四宮坂【NO.434】で載せた文をそのまま抜粋しました。)

これを証明するかのように、写真1のすぐ背後にはかつて道灌橋という橋が架かっていたようですね。

また大田道灌といえば、室町時代に活躍した武将なので、古い道なのだろうなあと思い、今昔マップも見てみると、案の定、公開されている中で一番古い明治42年の地図にも記載がありました。
ただ明治42年当時の道路は、今と違ってくねくねしていますけどね。
なおこの直線具合は、この上井草界隈の道路の特徴で、まちづくりの詳しいことは、前にとりあげた四宮坂【NO.434】(最後にリンクあります)と同じですので、そちらのほうを読んでもらえればと思います。

道灌坂【NO.444】2+
写真2

坂上あたりの様子です。 (写真2)
大田道灌が通ったころはもっとくねくねした道だったかもしれないですけど、今は直線ですね。

あと左側は東京都水道局・上井草給水所で、そんなこともあり大きな樹木やら雰囲気のある石垣がある坂道風景となっていました。

道灌坂【NO.444】3+
写真3

最後は、写真3の背後を見てみたものです。 (写真3)
上井草スポーツセンターの擁壁がかなり特徴的なつくりでしたね。
いつからこんな形だったのかはわかりませんけど、上井草スポーツセンターがかつて上井草球場と呼ばれていて、今は北海道日本ハムファイターズとなっている東京セネタース(翼軍)の本拠地でもあったことなどを考慮すると、なんとなくこのつくりになっているのもうなずけるような気がするんですけど、どうなんでしょうね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
杉並区上井草

関連リンク:  
→ 茅坂【NO.444】/杉並区上井草 - 東京坂道さんぽ
→ 四宮坂【NO.434】/杉並区上井草 - 東京坂道さんぽ
→ 上井草商店街へようこそ! / 上井草商店街振興組合